ウィンブルドン5連覇「ビヨン・ボルグ」 “悪童”との“伝説の一戦”秘話(小林信也)

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発散の仕方は対照的

 ボルグは氷の男。感情を表わさない。一方、3歳下のマッケンローは「悪童」と呼ばれ、テニス選手としては度を超えたお行儀の悪さで人気者になった。

 二人の対決は、世界中のテニスファンを引きつけた。表面的にはまったく対照的な人間に見えるが、二人の内面は案外、共通していた。

 24歳のボルグは21歳のマッケンローとの決勝を前に、5連覇の重圧に押しつぶされそうだった。もし5連覇を逃せば、世界はもう自分に見向きもしなくなる、そんな不安におびえていた。その鬱憤を、本音をさらせるコーチと婚約者にぶつけた。大会中にコーチを解雇し、婚約者を部屋から追い出してしまう。

 コート上で主審に毒づき、時にはラケットを投げ捨ててコートに大の字に寝転んで抗議するマッケンローと対照的に、ボルグは観客のいないところでストレスを発散した。が、いずれも世界の頂点で戦う重圧の大きさと対峙していたのだ。

 決勝が始まる前に思い直したボルグは、コーチと婚約者にそれぞれ謝罪し、信頼する二人の支えを取り戻してコートに立つ。

 前年の全米オープンを制覇しているマッケンローは、第1セット、強烈なスピン・サービスからすかさずネットに出てボレーを決める。ボルグのサーブレシーブは甘く、6対1で簡単に奪われてしまう。

 だが、ボルグも徐々に順応し、第2セット、第3セットを苦しみながらも奪い取る。そして第4セットで先にマッチポイントを奪う。今度はマッケンローのピンチ。ここで簡単に終わらないのが悪童マッケンローだ。粘り強くタイブレークに持ち込むと、5度もマッチポイントをしのぎ、ついには18対16で第4セットをモノにする。

 ファイナルセットも互いに譲らず、ゲームカウント6対6。すでに試合は4時間に迫ろうとしていた。そして、最後、死闘に決着をつけたのは、ボルグが両手バックハンドから繰り出した鋭いクロスだった。

 翌年、ボルグはマッケンローに決勝で雪辱を許す。1年半後、トーナメント日程の過密さに異論を唱え、ボルグは26歳で引退を発表。コナーズの復活を誘発する。そしてテニス界は金属製ラケット全盛時代に入っていく。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年7月28日号掲載

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