静岡県警の捏造?清水郵便局に届いた現金「43200円」と「36歳同僚女性」の謎に迫る【袴田事件と世界一の姉】
「恐ろしい女」と警察
静岡県警の捜査報告書には、彼女についてこう記される。
《昭和四一年四月から四一年六月一〇日まで、こがね味噌で包装工をしていたが、勤務成績が悪く、また味噌、金山寺を持ち出している事実が判明したので退職させたものであるが、同人は稼働中、同僚の女子職員に対し、「人を殺すのはわけない。火をつけて焼いてしまえばわからない」と、口走っていることが判明し、同僚からはおそろしい女だ、といわれ交際するものはいなかった》
「恐ろしい女」のイメージだが、いくらでも「人物像」は作れる。Aさんのそんな発言を聞いたという同僚の証言などなかった。そして、巖さんが強奪後に金を預けたのがこのAさんということにされてゆく。
お札は対角線を結ぶ隅2カ所が焼かれている。火事などによる焼け方ではなく、ライターかマッチで意図的に隅を焼いた形だ。焼けて消されたのが、お札の製造番号である。
毎日新聞静岡版は9月21日付の朝刊でこう報じた。
《袴田から金受け取る 清水事件 特捜本部、女を逮捕
清水市横砂、こがね味噌製造会社専務、橋本藤雄さん(四一)方一家四人強殺放火事件の犯人として静岡地検が起訴した同社製造係、袴田巌(三〇)はその後も清水署に拘置され、裁きの日を待っているが、自供の証拠がためをいそいでいる特捜本部はこのほど袴田の知人、同市小芝町三三、無職、A(紙面では実名、以下同)(三六)をおどしの疑いで逮捕した。
Aは六月初め、つとめていたS食品会社で同僚をおどした疑いで捕えられたが、袴田が橋本さんから盗んだ金の一部をAに手渡したともらしたことから同本部はAの身柄を静岡中央署に移してこの面も追及している。
袴田の自供によると、盗んだ金は三万六千余円で、大部分は飲み食いに使い、一部をAに渡したというが、Aは「事件後袴田とは会っていない」と強く否定しており、捜査当局も事件後に2人が会った確証をつかんでいない。
このため袴田自供のただ一つのナゾとされている盗んだ金の使途はいまなおはっきりせず、同地検でも連日吉村検事を清水、静岡中央両署に派遣、異例の“起訴後の調べ”をつづけている》
完全否定したAさん
巖さんとAさんの関係について、捜査報告書は《同人の男関係について捜査したところ、交際人物はやくざ連中が多く、王こがね味噌当時は袴田と仲が良く四一年(筆者註:昭和41[1966]年)四月のレクリエーションで、愛知県犬山に旅行した時、旅館で袴田はA(報告書では実名)と同じ布団に寝た事実もあり、両者の仲は相当進んでいたものと思われる》としている。
だが、後に公判でAさんは巖さんとの関係を問われて、「親しくありません」と証言している。さらに、巖さんが布団に入ってきたことを尋ねられると「覚えていません」。肝心の巖さんから金を預かったかどうかについては「預かっていません」と完全に否定した。清水警察署にお札入りの封書を郵送したことを問われると「知りません」と、これも完全否定したのだ。
捜査本部は、筆跡鑑定でAさんの字と千円札の「イワオ」の筆跡が一致したことを根拠にしていた。しかし、文字数は少なく、漢字と違い特徴の出にくいカタカナでは正確な鑑定は困難だ。さらに、警察は早くからAさんの身辺捜査をしており、彼女のカタカナの書き物を入手したり、撮影をしていれば、筆跡を真似て「イワオ」と書くこともできただろう。
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