静岡県警の捏造?清水郵便局に届いた現金「43200円」と「36歳同僚女性」の謎に迫る【袴田事件と世界一の姉】

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「奪った」お金を預けた女と焼けたお札

「5点の衣類」のみならず、袴田事件では不可解なことだらけだ。今回は「焼けたお札の謎」「金を預けた女」について見ていこう。

 当然のことだが、強盗事件や窃盗事件では奪った金品の使途は大きな立件要因だ。ところが袴田事件では、使途が訳のわからないことになっている。そこに「不思議な女性」まで登場する。

 4人も殺した強盗の成果は、たった8万円余(現在より価値は高いが)。殺された橋本藤雄専務の通帳や株券も手つかず。それだけでも不自然だが、冒頭陳述によれば使途について巖さんはこう供述したとされる。

《専務の家から盗んで樽(筆者註:工場の味噌樽)の下に隠した金は
 七月二日に一万五千円
 七月九日に一万円くらい
を取り出して二回とも実家の浜北へ持っていき、色々使いました。

 そして七月一一日か一二日頃又樽の中から残っていた五万円を取り出し知り合いのAさん(陳述では実名、以下同)の家に持っていき、僕のぜにだけど取りに来るまであづかって(原文ママ)おいて下さい。といってあづけ(原文ママ)ました。その后半月か二十日位たって取りに行きましたがAがいなかったので返してもらえず、今でもあづけ(原文ママ)たままになっています。》

 巖さんの犯行の動機は「盗みに入ったら見つかったので殺した」「肉体関係があった専務の奥さんに家を建て直したいのでと放火を頼まれた」などころころと変わり、最終的に「アパートで親子で暮らす資金が欲しかった」ということに落ち着いていた。

「郵便局員が見つけた」封筒

 事件から2か月あまり経った1966年9月13日、清水郵便局の局員が机の上に差出人不明の白い封筒が置いてあるのを見つけた。封筒には薄くて見にくい鉛筆書きで「シミズケイサツショ」と書かれていた。差出人の名は書いていない。郵便物は切手が貼っていないとか、宛名がわからないようなものは、「事故郵便物」と呼ばれる(神戸市の馴染みの郵便局で確認すると、「お客様に対しては使わない言葉ですが、局内では今も『事故郵便物』と言いますよ」とのこと)。

 封筒を開くと、便箋と共にお札が出てきた。便箋にはカタカナで「ミソコウバノボクノカバンニナカニシラズニアッタツミトウナ」と書かれていた。「味噌工場の僕の鞄の中に知らずにあった。罪を問うな」としか意訳できない。

 さらに封筒からは、一万円札が3枚、五千円札が2枚、千円札が2枚、五百円札が2枚。百円札が2枚出てきた(若い人は知らないだろうが、当時の五百円は岩倉具視が肖像のお札だった。五百円硬貨の流通は1982年4月から。同じく、百円札は板垣退助。百円硬貨の流通は1967年2月から)。

 2枚の千円札は、左上と右下が焼けていた。しかも2枚に、はカタカナで「イワオ」と書いてあった。この数日前には、巖さんが自白したと報じられていた。当然、局員は大事件の真犯人が送ってきたと思い、大慌てで警察に届けた(ということになっている)。

 ところが捜査の結果、この手紙を出したのが巖さん本人ではなく、Aさんという当時36歳の女性になるのだ。Aさんは、こがね味噌の元従業員だった。

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