静岡県警の捏造?清水郵便局に届いた現金「43200円」と「36歳同僚女性」の謎に迫る【袴田事件と世界一の姉】

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 7月22日、東京高等裁判所で審理されている袴田巖さん(86)の再審請求審(非公開)を、姉の袴田ひで子さん(89)が初めて傍聴した。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺された冤罪事件を追う連載「袴田事件と世界一の姉」の21回目。56年前の「袴田事件」に登場する不思議な女性について取り上げたい。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

強い意志で久々の上京

 この日の午後、東京の司法記者会での会見で、ひで子さんが微笑んだ。傍聴席とはいえ初めて法廷に入ることができたのだ。

「コロナでどこにも行けず退屈してたんですよ。今日は(法廷に)入れるということで『コロナくらいなんだ』とばかり来たんですよ」

 新型コロナ「第7波」は拡大する一方。周囲も上京を止めているのかと思い、前日に「明日は行かれるんですか?」とひで子さんに電話したら、「行きますよ」と明快だった。

 昨年までは三者(裁判所、検察、弁護団)協議のため、欠かさず上京していたひで子さんも、年明けからは感染を心配する周囲の意見で、巖さんと暮らす浜松市からリモートで記者会見に参加していた。

 これまで三者協議では、東京高裁に来ても法廷に入れず、いつも「袴田巖さんを支援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長と別室で待たされていた。この日、早くから東京高裁の記者クラブに浜松から来ていた「袴田さん支援クラブ」の猪野二三男さんは、「そもそも請求審で法廷に入ることは、ひで子さんの当然の権利。今まで裁判所が入れなかった方がおかしい。今回は敢えて上京を止めなかったんですよ」と話していた。

 そうこうするうちに、山崎さんと「見守り隊」の猪野待子隊長に連れられたひで子さんが会見場に姿を見せた。

絵具をたくさん混ぜるのに似ている

 請求審の審理は大詰め。事件から1年2か月後に味噌タンクから見つかり、「犯行時の着衣」と認定された「5点の衣類」の血痕の色だけが焦点だ。警察の証拠写真では血痕は赤いが、弁護団は「1年も経過して黒ずまないはずはない。発見直前に何者かが放り込んだ捏造」として争っている。

 最高裁判所の差し戻し決定で「血痕の赤みが残らない科学的機序を明らかにせよ」と宿題が出され、弁護側、検察側、双方で検証している。この日、尋問された弁護団依頼の鑑定人2人(ともに法医学者)は「1年以上、味噌に漬かった衣類の血痕が、赤いままにはならない」と説明、さらに「検察側の実験は味噌タンクの条件とかけ離れている」と指摘した。

 北海道・札幌から来た弁護団(西嶋勝彦団長)の笹森学弁護士は「いろいろな反応が進んで色が変化する。要は、絵具もたくさんの色を混ぜたら結局は黒になってしまうというのにも似ている」と説明した。なるほど、わかりやすい。

 会見で筆者はひで子さんに「何十年ぶりに法廷に入った感想は?」と訊いたが、ひで子さんは「何十年ぶりじゃないですよ。前の(再審請求審)東京高裁でも傍聴しましたよ」。

 筆者は、原審の控訴審の東京高裁以来と勘違いしていた。

 2014年3月の再審開始決定は、検察の抗告で東京高裁が18年6月に取り消した。この決定に至る請求審で、鑑定人の証人尋問をひで子さんは傍聴していた。

「まさかの取り消し」を経験しただけに、この日も「裁判のことですから出るまでわかりません」と引き締めていた。

 終了後、裁判所の敷地の外でNHKの取材を受けていたひで子さんに「裁判官と目が合いましたか?」と訊くと「目が合うようなことはなかったですね」と話した。

 ひで子さんによれば、浜松に残った巌さんは、支援者の車で近くの大学などに「パトロール」に出かけるなど元気に過ごしている。

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