新自由主義の中で働く人の「心」に何が起きているか――東畑開人(白金高輪カウンセリングルーム主宰)【佐藤優の頂上対決】
負けを位置付ける仕事
東畑 佐藤さんがご専門のキリスト教は、基本的に敗者のことを考える宗教ですよね。
佐藤 イエス自身が敗者ですから。それをニーチェはすごく嫌った。
東畑 私の好きな遠藤周作も、敗者ということに着目して小説を書いている。敗北の中に逆転した価値を見出しているんですね。
佐藤 宗教には、敗北は勝利だという価値の転倒があります。
東畑 それはやはり競争と違ったロジックが社会にないと、うまく回っていかないからでしょう。
佐藤 競争だけだと、しんどい社会しか作れないですから。
東畑 カウンセリングはそこに関わります。カウンセリングって、勝つためにやるものではなく、敗北したことについて、それをどう見つめて、どうやって自分の人生の中に位置付けていくかという作業なんですね。コーチングはむしろ勝つことに意味を見出す気がしますね。それも大事だと思うのですが。
佐藤 同種のやりとりにコンサルティングがありますよね。ある時、コンサルタントに、「これをやった方がいいと言うだけで結果の責任を取らないコンサルは、リストラの口実に使われるだけの仕事じゃないか」と話したら、「佐藤さんはよくわかっていない。結果を出すところまで責任を持つのはコーチの仕事で、コンサルは結果にコミットしないからいろんな助言ができる」と言われたことがあります。
東畑 なるほど。
佐藤 負けを負けと認めず勝ったつもりでいる人間を描いたのが、魯迅の『阿Q正伝』です。阿Qは人と闘って常に勝利している、という心理操作をしていて、最終的には銃殺されます。東畑さんの最新作『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(新潮社刊)の中には、イソップの「すっぱいブドウ」の話が出てきますね。
東畑 あれは日本中の心理学科で、心の守り方を説明するために使われるたとえ話です。手が届かないブドウを狐はすっぱいと考えて、傷つきをやり過ごす。心理学では「合理化」と言います。
佐藤 私もこのたとえをよく使いますが、最後がちょっと違っていて、「狐はそこでハッと気が付く。俺は肉食獣だ。ブドウを食べても栄養にはならない」。
東畑 素晴らしい! 本当の私じゃなかったというのが現代的な発想ですね。これ、佐藤さんのオリジナルですか? どこかで引用させてもらってもいいですか。
佐藤 もちろんいいですよ。
東畑 心は自動的に作動して合理化を行います。ただそれには限界がある。現実は現実ですから。一方、外の社会には、負けている部分を扱ってくれる場所はなかなかありません。新自由主義では、ずっと競争で戦わなければならないのに、そういう場所がなおざりにされている。
佐藤 強く見える人ほど、どうしてこんなささいなことで崩れてしまうのか、と驚くことがあります。例えば、非常にしっかりした人が、恋愛でボロボロになってしまう。
東畑 競争原理と違う世界に入ると、混乱するのかもしれません。
佐藤 不倫もそうですね。だいたい後から現れた存在の方が魅力的に決まっていますが、結婚は、先着順なんですよね。世の中には競争と違って先着順がある。もっともこれは、外務省の悪い男が不倫の時に「先に女房と結婚しちゃったから。先着順なんだよ、人生は」と、相手の要求をかわすために使っていたんですけども。
東畑 なるほど、先着順ですか。私の場合、昔は先輩に向かって、先に生まれただけで偉そうにするな、みたいな気持ちがありましたが、40歳近くなると、この人は先に学校に入って、先に仕事をしていたんだな、と素直に思えることがありますね。
佐藤 役人の世界が年次主義であるのは、お互い叩き合う無益な競争を防ぐためなんです。
東畑 同じ年次で横で戦い、上下でも戦って下剋上もあるとなると、いつも油断できなくなる。誰もがリスク管理にリソースを取られ過ぎる世界になっていきます。
佐藤 だから、そこには一定の合理性がある。
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