【鎌倉殿の13人】慈悲深い、日本三大悪女と言われた「北条政子」と「小池栄子」の共通点
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は後半に入り、小池栄子(41)が演じる北条政子の存在感が回を重ねるごとに増してゆく。政子には「慈悲深い女性」との人物評がある一方、「日本の3大悪女」に数えられている。どちらが真の政子か。史書から探りたい。
政子のキャラクターは小池栄子と重なる
24年前に小池をスカウトした元所属事務所代表の野田義治氏(76)は政子役の演技を手放しで誉める。その上で「政子のキャラクターには彼女自身の実像と重なり合う部分があると思いますね」と語った。一例は男性との向き合い方である。
「一途なんです」(野田氏)
政子は第1話で出会った源頼朝(大泉洋、49)に惹かれると、それ以外の男性には目もくれなかった。
小池もそう。2002年に元格闘家の坂田亘氏(49)と知り合うと、一途に思いを寄せ、2007年に結婚。坂田氏は現在、小池の個人事務所の代表も務めており、公私ともにパートナーである。
野田氏は小池にとって政子役はハマり役だという。
「芝居の幅が広く、仏様にも般若にもなれますから」(野田氏)
確かに「鎌倉殿――」の政子は慈悲深い人物であるものの、怒ると怖い。第12話の「亀の前騒動」(1182年)が好例だ。さて、史書には政子という女性がどう記されているのか。
まず基本的なことを確認しておきたい。名前だ。実は頼朝も父親の北条時政(坂東彌十郎、66)も「政子」という名前を知らない。政子と名付けられたのは2人が他界した後の1218年だからである。
政子が朝廷から従3位の位階を授与された際、公文書に名前を記す必要があったため、命名された。時政から1字取った。
ただし、日常生活で政子と呼ぶ人はいなかった。あの時代、女性のことはその人の立場で呼ぶのが一般的だったからだ。
このため「御台所(将軍の妻)」と呼ばれた。1199年に頼朝が他界すると出家したので「尼御台所」になった(『吾妻鏡』)。
木曽義仲の妹を救っていた
次に政子の人間性に目を向けると、情けに厚い女性だった。「鎌倉殿――」では描かれなかったが、1184年に頼朝軍が討った木曽義仲(青木崇高、42)の妹・宮菊もいたわった。
京で暮らしていた宮菊が生活に困り、周囲から嘲笑の的になっていることを知ると、心を痛め、1185年に鎌倉に呼び寄せた。そして自分の養女にした。さらに美濃国(現・岐阜県南部)の一部を領地として与え、一生暮らしに困らないようにした。
北条家と対立したことから、1204年に殺害された自分の長男で2代将軍の頼家(金子大地、25)の遺児にも心を配った。頼家と正室・辻殿(北香那、24)の子である公暁(寛一郎、25)は、自分の次男で3代将軍・実朝(柿澤勇人、34)の猶子(親族の子を自分の子として迎え入れること)にした。
公暁には仕事と立場も与えた。鶴岡八幡宮の別当に就けた。同神社のトップである。当時、鶴岡八幡宮は鎌倉文化の中心だったので、厚遇と言えた。それでも公暁の胸の内には復讐心が渦巻いていたのだが…。
女子も同じ。頼家と側室・若狭局(山谷花純、25)の娘とされる竹御所も実朝の正室・西八条禅尼の猶子にした。
そんな心配りも虚しく、1219年2月に公暁が実朝を暗殺すると、政子は幕府の屋台骨を支える。政治判断を下す一方、御家人たちをまとめた。政子にはそれが出来た。
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