テニス国内169連勝の福井烈、なぜ小柄なのに勝てた? 本人は「突出した武器がない」(小林信也)

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日本でプレーする使命

 テニス人生で最も記憶に残る試合は? 尋ねると、

「全日本選手権で初めて優勝した時の決勝戦、九鬼さんに勝った試合です」

 福井は答えた。調べてみると、79年の決勝で九鬼潤と戦っている。だが、すでに福井は2連覇している。九鬼に勝って3連覇を達成。なぜ、「初めて優勝した」と言ったのか?

 プロとアマの間にまだ壁があった時代。プロは全日本に出られなかった。ようやくプロの出場が認められ、12歳上の九鬼との対決が実現した。九鬼は全仏で3回戦、全英、全豪、全米で2回戦まで勝ち上がった実力者。試合は九鬼優勢で進んだ。第4セット、福井は九鬼にチャンピオンシップポイントを握られた。絶体絶命のピンチ。だが、九鬼が上げた甘いロブを見逃さず、福井がスマッシュを決めた。そこから福井が勢いを取り戻した。逆に九鬼は動きが止まり、最終セットは6対0と福井が圧倒した。

「九鬼さんは脚にけいれんを起こしてもう動けませんでした。インターバルトレーニングで徹底的に持久力を鍛えた成果で勝った試合です」

 福井は海外には積極的に挑戦しなかった。

「国内のプロサーキットが盛んになり始めたので、日本でプレーする使命感がありました。国内で10回優勝した年もあります。それだけで賞金が1500万円くらいになりました」

 国内のテニス人気を福井がけん引した。その先に、柳川商の後輩でもある松岡修造、そして錦織圭らの海外での活躍がある。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年7月21日号掲載

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