佐々木朗希、菅野智之、山川穂高 あと一歩で「甲子園出場」の夢を絶たれた3選手の敗れ方

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「打たれて自分の力不足を痛感した」

 2年連続神奈川大会決勝で敗れ、伯父・原辰徳が4度踏んだ聖地に1度も届かなかったのが、東海大相模時代の菅野智之(現・巨人)である。

 06年夏、背番号15でベンチ入りした2年生の菅野は、2試合に先発したが、計12回を6失点とまだ成長途上だった。

 決勝の相手は、センバツ優勝校の横浜。1対10と大きくリードされた6回に3番手として登板した菅野は、3つのアウトすべてを三振で取ったものの、4安打を浴びて4点を失う。

「打たれて自分の力不足を痛感した」(菅野)

 以来、「打倒横浜」を目標に雪辱を期し、最後の夏は、準決勝で再び横浜と相まみえる。菅野は4回に今でも珍プレーとして語り継がれる“振り逃げ3ラン”で幸運な追加点を挙げる。これがモノを言って、6対4でライバルに雪辱し、甲子園に王手をかけた。

 だが、決勝の桐光学園戦では、前日188球を投げた疲労が抜けず、序盤から苦しい投球が続く。

 東海大相模は、初回に大田泰示(現・DeNA)の2ランで先制も、2回に追いつかれ、3回に2点を勝ち越される。直後、5対4と逆転し、6回にも田中広輔(現・広島)の三塁打などで8対5と突き放したが、7回に再び追いつかれ、同点の9回2死満塁から痛恨の2点タイムリーを浴びてしまう。

 その裏、チームは最後の反撃を試みるも、1死一塁から併殺でゲームセット。2年続けて決勝で敗れ去った。

 悲運のエースは「味方が点を取ってくれた直後の回に失点を重ね、攻守のリズムを作れなかった」とうなだれたが、「最後まで菅野でいく」とすべてを託した門馬敬治監督は「最後まで逃げずによく投げてくれた」と最高の賛辞を贈っている。

見逃し三振

 一方、今年6月26日の楽天戦で、日本人最速の通算200本塁打を達成した西武の主砲・山川穂高も、中部商3年の夏は、沖縄大会決勝で敗れている。

 春の県大会を制し、5年ぶりの甲子園を狙う中部商の4番・山川は、2回戦の浦添商戦で、「詰まった」と言いながら左中間席に弾丸ライナーの仰天弾。準決勝の沖縄水産戦でも、バックスクリーンに試合を決める2ランを放ち、甲子園まであと1勝と迫った。

 決勝の興南戦も、序盤は中部商ペース。3回に1点を先制し、なおも無死満塁と押せ押せムードだった。

 ここで興南は、エース・島袋洋奨(元ソフトバンク)がマウンドに上がる。島袋は落ち着いて打者2人を打ち取り、2死満塁で山川が打席に立った。力んで制球を乱した島袋は、カウント3-0と苦しくなった。

 だが、「ただ思い切り投げよう」と開き直り、内角直球を2球続け、フルカウント。ここから山川も2球連続ファウルで粘り、見ごたえ十分の力対力の勝負となった。

 そして、運命の8球目、島袋は外角の低め一杯に渾身の直球をズバッと投げ込んできた。山川はバットを動かすこともできず、見逃し三振。「あの場面であの球が投げられるのが、島袋のすごいところ」と舌を巻いた。

 これで試合の流れは興南へ。4回にスクイズで追いついた興南は、5回に2点を勝ち越し。これに対し、中部商も8回に山川の左前タイムリーで逆転に望みをつないだが、反撃もここまで。2対4で敗れ、甲子園目前で涙をのんだ。
 
 現在、プロ野球で活躍する選手が、どのような高校野球生活を歩んだのか、この時期に改めて振り返ってみると、新たな野球の楽しみ方が見えてきそうだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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