既存の刑事ドラマへの挑戦?ドラマ「初恋の悪魔」の楽しみ方

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摘木は解離性同一性障害?

 摘木は解離性同一性障害のように映る。ある店に忘れた自分の財布を引き取るため、警察署へ行くと、その店で買ったハイヒールを一緒に渡される。しかし摘木には買ったおぼえがない。

 自宅に帰ると、ハイヒールがずらり。尋常な数ではない。そもそも常にラフなスカジャン姿の摘木はハイヒールなんて履かないはず。

「いい加減にしてくれよ、ヘビ女」(摘木)

 摘木の中にはもう1人の人格が潜んでいるようだ。解離性同一性障害は2つのまったく異なる人格が同一人物内に存在する。2つの人格は交互に現れる。

 セリフに目を移すと、坂元作品らしく純文学的なものもあった。

 総務課の上司から「負けっぱなしの人生でいいんですか?」と問われた馬淵は笑顔でこう答えた。

「負けてる人生って誰かを勝たせてあげる人生です。最高の人生じゃないですか」(馬淵)

 馬淵はこうも言った。小鳥に対してだ。

「僕たちが隅に居るから真ん中に立てる人がいるんです」(馬淵)

 どちらも深いセリフである。

ミステリアスコメディとして観るべき

 だが、この作品は「ミステリアスコメディ(不可思議な喜劇)」と謳われているから、それを額面通りに受け止め、純文学的なセリフを噛みしめるより、コミカルな部分を楽しむべきではないか。

 例えば自宅捜査会議のシーンは愉快。特に鹿浜と小鳥のズレっぷりがいい。なんでもかんでも猟奇的犯罪と結び付けようとする鹿浜に対し、小鳥は事件と社会を関連付けたがる。まるで情報番組のコメンテーターだ。

 ドリフのコントのようで吹いてしまったのが、終盤のシーン。馬淵のシャツがめくれ上がり、腹が見えてしまった。

 馬淵と小鳥が事件解決を喜び、両手を挙げて「バンザイ」をした時だった。摘木が冷めた口調で「腹見えてる」と指摘したのがおかしかった。

 坂元氏は東京芸大大学院の教授でもある。映画専攻でシナリオを教えており、今年のアカデミー賞で国際長編映画賞を得た映画「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督も教え子の1人。

 そんな坂元氏が脚本を書く際に最も拘るものは新しさに違いない。既存のものを踏襲していてはドラマ界も映画界も前へ進めない。なので、「初恋の悪魔」もこれまでに誰も観たことのない作品にしたのだろう。

 半面、新しいものだけに第1話の好みは分かれたはず。SNSを見ると、「大好きで面白いんですけど~」(ツイッター、7月16日)と絶賛する声がある一方で、「意味が分かんない」(同、7月16日)と戸惑う意見もあった。

 第2話以降は「ミステリアスコメディ」であることを強く意識して観るべきだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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