引退「吉田拓郎」と学生運動 広島大で運動家から「やめろ!」と吊るしあげられた過去

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 吉田拓郎(76)が年内で引退する。テレビ出演は7月21日放送のフジテレビ「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」が最後となる。吉田といえば団塊の世代には「神」。どうしてなのか。それは学生運動と切り離せない。

実兄の影響もあって音楽の道に

 拓郎は1996年に始まった「LOVE LOVE あいしてる」への出演を当初、渋った。33歳も年下のKinKi Kidsの2人との共演に気乗りしなかったからだ。

「17、18の小僧と一緒に仕事ができるかと思った」(拓郎「週刊プレイボーイ」2000年7月11日号)

 拓郎らしく遠慮のない言葉だ。もっとも、実際にKinKi Kidsと共演するようになると、愛情を持って接した。これも拓郎らしい。

「2人はオレからギターを習いたいって言って、オレがマジで教えた弟子でもある。あいつら吸収できるものはなんでも吸収しようって、貪欲さがあるよね。だから、どの世界でもサクセスすると思います」(拓郎「文芸ポスト」2002年7月号)

 拓郎は頑固な男ではなく柔軟だという。トップアーティストにありがちな孤高の人でもなく、出会いやふれあいを拒まない。気難しいところもなく、無理をしなくても愛されるタイプだ。

 ラ・サール高(鹿児島)から立教大に進み、ジャズピアニストになった実兄の影響もあって、拓郎は1962年に地元の広島皆実高に入ると音楽を始めた。最初に買った楽器はウクレレ。安価だったためだ。

 広島商科大(現・広島修道大学)に進学後はロックバンドに入り、ボーカルとギターを任された。2年生だった1966年にはコロムビアレコード主催の全国フォーク・ソングコンテストに応募。オリジナル曲「土地に柵する馬鹿がいる」を歌い、3位に入賞する。優勝こそ逃したものの、かなり話題になり、雑誌「平凡パンチ」にも取り上げられた。

学生運動への嫌悪

 学生運動の火の手が全国の大学で上がっていたころのことだった。フォークソングのテーマも「仲間同士の連帯」や「体制への抵抗」が多かった。だが、拓郎はそういった路線と一線を画す。

 学生運動の闘士に不快な思いをさせられたせいでもあるだろう。拓郎が紛争中の広島大に招かれ、歌ったところ、学生運動家から「やめろ!」と吊し上げられた。曲は「イメージの詩」(1970年に発売)だった。

「イメージの詩」が学生運動家の好みがちな連帯や反体制を歌うようなものではなかったからだ。個人の内面がテーマだった。こんな歌詞だ。

「いいかげんな奴らと口を合わせて 俺は歩いていたい いいかげんな奴らも口を合わせ 俺と歩くだろう」(「イメージの詩」)

 そのうえ多くの学生の気持ちが革命前夜のように高ぶっていたにもかかわらず、冷めた内容だった。当時の拓郎の偽らざる心境だったのだろう。

「呼んだ奴から『やめろ』と言われる。何なんだこれは。彼らは何がしたかったのか。僕にはいまだに分からない」(拓郎「すばる」2010年3月号)

 もちろん拓郎の才能を高く評価する人も多かった。その評判は東京にも伝わり、1970年4月にインディーズ・レーベルからデビューする。アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」が発売された。

 同6月にはこのアルバムの中から「イメージの詩/マークII」がシングルカットされた。もっとも、レーベルに力がなかったこともあり、このシングルは大きな話題にはならなかった。

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