2人のエリート官僚が主人公、「島守の塔」は異色の戦争映画 監督が「沖縄戦は終わってない」と気づいた瞬間

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 夏は、多くのメディアで戦争を振り返る特集が組まれる。例年、一足先に報道されることが多いテーマが、1945年3月からの米軍の上陸などで「住民の4人に1人が死亡した」という、未曽有の悲劇が起きた沖縄戦である。既に、テレビや新聞では沖縄戦報道が一段落したが、今年は映画「島守の塔」(シネスイッチ銀座などで公開中)であの悲劇を疑似体験してほしい。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

「生きてくれ」と言い残した

 映画「島守の塔」は、沖縄戦末期に本土より派遣された2人のエリート官僚という実在のモデルを扱った作品だ。

 前年からの空襲に加え、ついに沖縄へ米軍が上陸する絶望的戦況にあって、東京帝国大学出身の内務省エリートの官選知事として、沖縄に送り込まれたのが島田叡(あきら)と沖縄県警の荒井退造警察部長だ。彼らは、次第に住民に心を寄せる。当時、住民までが「捕虜になるなら自決せよ」と教育されていた。自決を決めていた若い県職員女性に「生きてくれ」「生きるんや」と言い残した島田は、荒井とともにガマ(避難のため隠れていた自然洞窟)を出て行方不明になる。

 沖縄戦では、陸軍病院に派遣された「ひめゆり学徒隊」の悲劇などが映画化されてきたが、エリート官僚が主人公というのは珍しい。

 製作は琉球新報、沖縄タイムス、神戸新聞、毎日新聞、サンテレビジョンなどが参加した映画「島守の塔」製作委員会。監督・脚本はベトナム戦争の取材中に襲撃されて死亡したカメラマン沢田教一の「SAWADA」、カンボジア内戦取材中に行方不明になった一ノ瀬泰造を描く「地雷を踏んだらサヨウナラ」など、社会派で知られる五十嵐匠(しょう)監督(63)である。

沖縄に行って製作を決意

 6月、さいたま市の事務所で五十嵐監督にインタビューした。

――製作の動機を教えてください。

五十嵐監督:最初は、田中角栄伝を作ろうと思っていたんです。ところがその過程で、あるプロデューサーが「面白い人物がいる。沖縄県最後の官選知事で行方不明になった男です」と教えてくれて、すぐ沖縄入りしました。私は調べるより先に現場に行く主義なんです。ガマの中で懐中電灯を消すとあまりの暗さに驚きました。今の都会では経験できないような暗さ。籠もった人は不安と恐怖に苛まれどんな思いだったのか。沖縄戦で何か月もそこで息を凝らして潜んでいた多くの島民のことを思いました。摩文仁(現在の糸満市南東部にあった村)では、日本兵と行動を共にした何万人もの人が命を落としました。その道々に、今も亡くなった人たちが立っているような気持ちでした。

「沖縄では戦争は終わっていない」と痛感しました。

 ひめゆり平和祈念資料館では、学徒隊の手紙を読んでいた修学旅行中の女子高校生がぼろぼろと涙を流していました。

 摩文仁の平和祈念公園に島田と荒井の名が並ぶ立派な塔(島守の塔)がありました。宇都宮市で荒井の生家を訪ねましたが地元ではさほど知られていない。一方、下野新聞が荒井のことを連載していた。神戸市出身の島田は東大卒の内務省官僚、沖縄県の警察部長だった荒井は明治大学の夜学に通った苦学生からの叩き上げでしたが、島田は東大野球部のスターで、荒井も野球部の主将だったという共通項があったんです。

――これまでの沖縄戦映画との違いは何でしょうか。

 沖縄の人ではなくヤマトンチュウ(沖縄の方言で本土の人)が主人公であることがこれまでの沖縄の映画と大きく違うのでは。彼らと若い沖縄女性の比嘉凜。三者のトライアングルで「戦争が人間に何をもたらしたのか」を描いてみました。

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