「美人霊能者の勧誘から9千万円を献金」 統一教会で人生が変わった普通の人たちの話
安倍晋三元総理暗殺事件の影響で、にわかに注目を浴びることになった統一教会(現・世界平和統一家庭連合)。教団側は、近年は「コンプライアンスを遵守」するようになり、トラブルもないと会見で強調したが、その真偽はともあれ、逆に言えばかつてはコンプライアンス上問題のある行為によるトラブルが多発していたのを認めた、ということになるのだろう。
霊感商法や合同結婚式などが問題視されながらも、統一教会がわが道を突き進んでいた1990年代、信者たちはどのような人生を送っていたのか。前回に続き、合同結婚式が日本中の注目を集めていた時期の記事から、「普通の信者」たちのケースを見てみよう(「FOCUS」1992年7月31日号、9月6日号をもとに再構成。年齢などは当時のままです)
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恋愛は許されない
1988年の合同結婚式に出たB子さんは元OLで当時27歳。入信は'84年。きっかけはA子さんと同じく、友人に誘われてビデオセンターに行ったことからだった。B子さんは仕事を辞め集団生活を始めた。
「内部では男女の恋愛どころか体が触れ合うことも許されず、部屋に男女が二人きりになる時にはドアを開けておかないといけない、廊下ですれ違う時も、体が少しでも触れ合うことを恐れて、極端に体をよけ合う。車でどこかへ行く時も、男女は隣同士に座ることを禁じられ、どうしても隣同士になる時はお互いの間にカバンなどを置くようにしました」
B子さんは霊感商法に従事した。1日の訪問販売先は40~50軒。売っていたのは印鑑や壺や弥勒仏など。弥勒仏は700万~800万円。B子さんは1人の相手に2千万円を売ったこともあった。'87年頃からは霊感商法がマスコミで批判されはじめ、収入は減った。月1万4千~1万5千円だった小遣いは半分になり、食事代も1日100~200円にされた。
「マクドナルドが、時間がたって捨てているハンバーガーをとって皆で食べたり、パンの耳をもらって食べることもありました。1、2日の断食はザラで、3、4日続くこともありました」(B子さん)
風呂にもなかなか入れず、夏場で週1回ということもよくあったという。
B子さんの場合は合同結婚式の2、3カ月前に面接があり、国際結婚でもいいか、黒人でもいいか、健康状態はどうかといった質問を受けた。B子さんは「韓国人が希望です」と答えた。
「メシア(注・教祖の文鮮明氏のこと)の生まれた国の人と結婚し、血統を清めることがいちばんの幸せで、韓国人と“祝福”を受けるのが最高の栄光だったんです」(B子さん)。
B子さんが相手の顔を見たのは式の当日だった。B子さんは、男性と女性が3回ずつ「蕩減棒」と呼ばれる木の棒で臀骨を打ち合うという奇怪な儀式にも参加した。
「痛くて、1週間、アザが消えませんでした。その後10日間ほど、式のあった工場の倉庫に毛布1枚渡され、通路の間で雑魚寝をしていました」
B子さんの場合、希望と違って相手が日本人だったため「日本人同士の結婚の場合、女性は33歳まで配偶者と一緒の家庭生活は送れない」と教えられ、別々に活動していた。
合同結婚式での婚姻が無効であることの確認を求めて幾つかの裁判が行われ、茨城県で提訴されたケースでは、婚姻無効が確認されている。
このケースは前回の記事で紹介したA子さんと同じく、相手は韓国人。判決では、この式を「強制合同結婚式」と呼び、配偶者を決めたのは本人ではなく教会幹部で、夫婦としての生活もなかった、と認定されている。また裁判では、「妻」が「夫」の経歴や職歴をほとんど知らないこと、日本へ帰った「妻」へは時折、韓国から手紙が来て、「妻」は辞書を引きながら読むだけ、という不可解な夫婦関係が明らかになっている。
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