安倍元総理の親友が明かす最後の会話 「別れ際、大変だろうからユンケルを手渡した」

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早く引退してほしかったが…

 それまでも折に触れ、安倍さんとは湛山の話をしてきました。それが頭にあったのか、安倍さんの文章の中には「病気で国家の重要な判断を誤ってはいけない」という一文があったんです。“また政権を投げ出した”とかいろいろ書かれましたが、安倍さんは政治家としての理性を発揮して辞めるという決断に至った。重要なことだと思います。

 ただ、私はその後、安倍さんにはそこで引退してほしかった。だから「私みたいにさっぱり身を引いてください」と言いましたが、うんとは言わなかった。

 やはり安全保障や経済の面でまだまだやり残したことがあり、それを国会議員として実現していくという、強い信念を持っていたんでしょうね。

息子の死を知っても気丈に振る舞った“ゴッドマザー”

〈その願いを断ち切ったのが、あの一発の凶弾だったというわけだ。「心友」の危機に荒井氏は何を思ったのか。〉

 第一報を聞いて、私はすぐ議員会館の安倍さんの事務所に向かいました。秘書さんたちは慌てることなく対処していて実に立派でした。

 その後、昭恵さんが奈良に向かったと聞いた。すると富ヶ谷のご自宅には94歳のお母様・洋子さんと、やはり高齢で、家族同然のお付きの人だけになる。そこで、今度はご自宅に向かったんです。そうしたら、お母様が出てきてくださり、「すみませんね、わざわざ」と。既に報道も把握されていましたが、実に気丈なお姿でした。

 その後、ご親族が次々と駆け付ける中、奈良の昭恵さんから電話が来た。受けたお付きの人が「亡くなりました」と告げると、お母様は取り乱すことなく、ただただじっと黙っていらっしゃいましたよ。あのご年齢で息子の死を知り、それでも気丈にされている。

 お母様にとっては、お父上の岸元首相が暴漢に襲われ、ご主人の晋太郎先生もがんで亡くなった。そうしたたくさんの苦難を経てきているからこそ、ああした態度が取れるのでしょう。

 昭恵さんもそうですよ。ご遺体を奈良から運び、霊柩車がご自宅のガレージに入ってきた時、車から出て、皆さんに深々と頭を下げていた。顔を真っ赤にして……。泣いていたかもしれませんが、それでも気丈に振る舞っていました。

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