安倍元総理の親友が明かす最後の会話 「別れ際、大変だろうからユンケルを手渡した」

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訪朝直前の食事の席で…

 安倍さんが信念の政治家であったことは間違いありません。進むべき方向をはっきりと見据え、国民に問題提起を続けてきました。

 安倍さんといえば、拉致問題です。02年、小泉首相と共に官房副長官として訪朝する前、私は安倍さんと食事をしました。当時、彼はほとんどお酒を飲まなかったんですが、私はおちょこにお酒を注いだの。「荒井ちゃん、何だ?」と言うから、「水盃(みずさかずき)だ」と。水盃とは別れの儀式。訪朝し、拉致問題について交渉をするという、これまでにないことをやるわけですから、もう会えなくなるかもしれない、と思って。安倍さんは「決裂したら席を立って帰ってくる」と言いながら、盃を飲み干しました。

 コロナの時もそうでした。あの時、安倍さんは「一人でも多くの死者を出してはならない」と真剣でしたよ。特に「トリアージさせない」「人の命に順番を付けない」「エクモが取り合いになったら大変だ」と。自分が潰瘍性大腸炎に苦しめられたからこその思いでしょう。

何度も安倍元総理を苦しめた持病

 初当選後2~3年頃のことかな。安倍さんが3カ月近く入院したことがあったんです。私は二人だけの時は安倍さんのことを“親分”と呼んでいましたが、お見舞いに行った時に、「今、国会では親分はがんじゃないかと言われていますからね」と言ったら、「そうか。そんなことないのに」。その1カ月後に行った際に「親分、申し訳ないですが、死んだんじゃないかと言われていますよ」と言うと「ふーん」。またその1カ月後に、「親分の話が全く出てこないんですよ。忘れられたんじゃないですかね」と言ったら、安倍さんは「何だ!」と激怒していましたよ。

 政治家にとって存在を忘れられてしまうことが最大の侮辱で、安倍さんを何度も苦しめたのがあの病でした。

 1次政権も2次政権も、潰瘍性大腸炎が悪化してその座を降りることになった。

 一昨年、2次政権で退任した際には、その直前、私は安倍さんが辞任会見の原稿を書いているところに呼ばれて、中身を読んで聞かせてもらったんです。

 石橋湛山(たんざん)元総理は就任後、わずか2カ月で退陣しましたが、それは病が悪化したから。身体が万全でない者が総理をやってはならないというのが、湛山の信念でした。

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