外務省官僚を死に追いやった横浜・風俗店「ハーフマダム」の正体 元公安警察官は見た
何十枚もの濡れ場の写真
佐々井はその後、元大尉の自宅に「裏切りましたね、覚悟はできていますか」という内容の手紙を送った。結局、工作活動は失敗したが、
「元大尉の安全を守るために、警察は彼を安全な施設に避難させました」
佐々井は外務省欧米局の事務官にも触手を伸ばした。
「1953年1月、東京・銀座のロシア料理店で、ラストボロフが事務官に佐々井を紹介したのです。事務官は妻子がいるのに佐々井にのめり込み、深い関係になります。そしてその年の夏、佐々井が用意した軽井沢の別荘で1週間、2人は一緒に過ごすのです」
軽井沢でのバカンスが終わって10日後、事務官は佐々井から都内のホテルに呼び出された。
「その場にはラストボロフも現われ、事務官と佐々井がからみあっている何十枚もの写真を掲示して脅迫、彼にスパイになるよう迫ったそうです」
その後事務官は、米軍に関する情報を集めては佐々井に伝えたという。
1954年1月、ラストボロフは上官であったベリヤ内務大臣が逮捕されたため、自分も粛清されると思いアメリカに亡命、日本における情報収集活動の実態を暴露。500名もの日本人協力者がいたと告白し、大騒ぎになった。
「当時、警視庁の山本鎮彦公安3課長(後の警察庁長官)がアメリカへ飛び、CIAの立ち合いのもと、ラストボロフから話を聞いています。そこでこの事務官もスパイだったことが判明しました」
1954年8月、事務官は国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反容疑で逮捕された。
「責任を感じた事務官は取り調べの最中、4階の窓から飛び降りて自殺しました」
佐々井は、諜報活動を行う傍ら、風俗店「国際観光サービスクラブ」を経営、マダムとして店を切り盛りしていた。
「お店は、米兵が毎晩のようにやってきて繫盛していました。ホステスは20人ほどいたそうですが、みな白人と日本人のハーフでした。彼女たちに米兵と関係を持たせて、米軍情報を入手していたのです」
店ではショータイムがあった。
「照明は暗くされ、全裸になったホステスと客が乱交パーティを繰り広げていたといいます。公安部外事1課と神奈川県警がショータイムの最中にガサ入れを行ったのです」
その後、佐々井とラストボロフの関係も明らかになった。佐々井は刑事特別法違反で懲役4年が課せられた。
「刑期を終えた彼女は、横浜で小さなバーを経営。ひっそりと余生を送ったそうです」
むろん、神奈川県警は佐々井が亡くなるまで監視し続けたという。
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