外務省官僚を死に追いやった横浜・風俗店「ハーフマダム」の正体 元公安警察官は見た

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タワーリシチ

 幼少期は金沢で過ごし、1942(昭和17)年、母親が亡くなると横浜へ転居。1944(昭和19)年、爆撃で父親が死亡すると、ロシア人に引き取られた。その後、MVD(ソ連内務省)の工作員となった。日本語、朝鮮語、英語、ロシア語の4カ国語を話したという。

 工作員としては、例えばシベリア抑留から解放された元陸軍大尉をソ連のスパイに仕立てようとした。元大尉はシベリアでMVDにソ連のスパイとなる誓約書を書き、1951年に帰国していた。誓約書には、帰国後、毎月決まった日時にソ連の連絡員と接触するという下りがあった。

「元大尉は、ソ連のスパイになる気はなく、誓約書のこともすっかり忘れていました。1952年4月17日、元大尉は東京・丸の内で働く友人を訪ねて就職の相談に乗ってもらいました。その後、皇居前広場で佇んでいると、突然佐々井が現れたそうです。彼女は元大尉を監視し、尾行していたのです。そして『タワーリシチですね』と声をかけた。タワーリシチとは、ロシア語で同志の意味です」

 元大尉は、タワーリシチという言葉で誓約書のことを思い出した。その後、佐々井に誘われて喫茶店に入った。結局、スパイになる気はないと伝えたという。

「すると彼女は、袖口に隠していた小型拳銃を元大尉に突き付け、脅したのです。そして、米軍が警察予備隊(自衛隊の前身)に供与する兵器の内容とその数、米軍の警察予備隊援助の将来計画などを教えて欲しいと言い出した。できたら警察予備隊に入って欲しいとも。今後の連絡は、毎月17日午後2時、場所は横浜の山下公園でと言い残し別れたそうです」

 元大尉は思い悩んだ末、警察予備隊の情報機関に相談した。警察予備隊は国家地方警察(国警=旧警察法による警察組織で1954年まで存在した)の捜査員と佐々井逮捕の計画を練ったという。

「佐々井との接触場所である山下公園の藤棚の近くの花壇の中で、情報機関員と国警捜査員が園丁に扮して張り込みました。ところが約束の時間を20分過ぎても佐々井は現れなかった。もっとも、彼らの前を金髪のサングラスをかけた女性が、恰幅のいい外人の男と腕を組んで素通りしたそうです。金髪女性が佐々井でした。彼女は捜査員が張り込んでいたことに気づいたのです」

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