歯磨きから家事まで家庭内の「習慣」を進化させる――掬川正純(ライオン代表取締役 社長執行役員 最高経営責任者)【佐藤優の頂上対決】
コロナ禍によって自宅で過ごす時間が増えたために、手洗いをはじめとするさまざまな生活習慣や家事への意識が急速に高まっている。歯ブラシで知られるライオンは、私たちの日々の習慣をさらにバージョンアップさせるための商品開発に力を注ぐ。それらは暮らしをどう変えていくか。
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佐藤 私が外務省のモスクワ大使館に勤めていた頃、日本の食品や雑貨はスウェーデンのストックホルムまで買い出しに行っていました。そこにもライオンの歯ブラシと歯磨きがありましたから、ライオン製品にはもうずっとお世話になっています。
掬川 ありがとうございます。
佐藤 また2002年に逮捕されて、東京拘置所で512日間過ごした時も、官品として支給されたのが、水色の箱に入ったライオンの歯磨き粉でした。
掬川 それは「潤製スーパーライオン」でしょうね。
佐藤 これが非常に便利で、歯磨きだけでなく洗い物にも使っていました。というのも、拘置所のせっけんは刑務作業で作ったものらしく、あまり汚れが落ちないんです。油のついた食器などをピカピカにする時、その歯磨き粉が活躍しました。
掬川 なるほど、あの中には研磨剤も入っていますからね。
佐藤 この対談が決まって思い出し、街で探してみたのですが、もう販売されていないようですね。
掬川 ええ、なくなりました。佐藤さんは外務省ご出身で、ロシア関係を担当されていらっしゃいましたよね。実は、ロシア大使だった都甲岳洋(とごうたけひろ)は私の親族なんです。
佐藤 そうでしたか。都甲大使には大変お世話になりました。私が逮捕された時は、検察に呼ばれて大変だったと思います。でも取り調べで人を貶めたり、罪を被せるようなことをしない立派な方でした。検察はその供述に不満で、他の大使は三文判で押す供述調書の認印が、都甲大使は指印(しいん)でした。嫌がらせです。
掬川 そうなのですか。
佐藤 お亡くなりになりましたね。もう10年くらい経ったでしょうか。
掬川 2014年でした。
佐藤 外務省のロシア語研修を受けたキャリアの中では、唯一ロシア語でコミュニケーションが取れ、通訳もできました。五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』に登場する白瀬2等書記官は、若き日の都甲さんがモデルだといわれています。
掬川 へぇ、それはいいことを聞きました。五木寛之氏の作品は好きなんですよ。
佐藤 世界は狭いですね。ここで都甲大使の名前を聞くとは思いませんでした。それではライオンについて、まずはコロナ禍の影響からおうかがいいたします。
掬川 私どもは、洗剤にしろ、歯ブラシにしろ、家庭内で使われる商品を中心に扱っていますから、家で過ごす時間が長くなったことは、全体的に需要増につながりました。ただ、それよりもっと大きなことは、家事や習慣に対しての意識が高まったことです。これは私どもの事業に大きなプラスだと思っています。
佐藤 ハンドソープは生活の一部になりました。ライオンの「キレイキレイ」はどこでも見かけます。そのシェアはどのくらいですか。
掬川 40%を超えていまして、第1位です。
佐藤 きちんと手を洗うようになったら、インフルエンザの流行がほぼなくなってしまいましたね。
掬川 もちろんハンドソープだけでなく、マスクの着用などさまざまな予防策が相まって流行が抑えられたのだと思いますが、やればできるということですね。
佐藤 手洗いは、通り一遍のやり方では、なかなか汚れが落ちないんですよね。以前、このコーナーにシヤチハタの社長さんにご登場いただいたことがあります。シヤチハタは、子供たちにきちんと手洗いをする習慣がつくよう、手のひらに押すスタンプを開発したんです。これがなかなか落ちない。
掬川 その通りです。しっかり洗わないと、汚れは完全には落ちないですね。
佐藤 だから子供の方が率先して手洗いを覚えて、「パパ、もっとちゃんと洗わないとダメ」といったやりとりが各地で起きているそうです。
掬川 それはいいですね。コロナで手洗い習慣は定着したのですが、弊社はこれが完成形とは思っていないんです。いろいろ調査をしてみると、食事前の手洗いが十分でないというデータが出てきます。特に外出先で取る昼食ですね。日本の飲食店では食事前におしぼりが出てきます。あれは気持ちのいいものですが、その前に手洗いをした方がいい。こうした場面で、私どもは習慣のレベルを引き上げていきたいのです。
佐藤 どんなやり方がありますか。
掬川 まずは携帯用の消毒剤ですね。
佐藤 ああ、女性はハンドバッグに忍ばせている人がかなりいますね。
掬川 いま弊社では、「インフェクションコントロール(感染予防)」「オーラルヘルス」「スマートハウスワーク」「ウェルビーイング」の四つの領域で、それぞれ提供価値の水準を上げていく取り組みを始めています。それは各領域で、「習慣を進化させる」と言い換えることもできます。
佐藤 手洗いなら、家庭内から家庭外での手洗いに進化させるということですね。
掬川 その通りです。これまでの活動の主軸は、家庭内での手洗い習慣の浸透でした。これは100%とはいえないまでも、かなり浸透した。次は、家庭外での衛生習慣を高めていく。昼食前に手を洗うことはもちろん、イベントやお祭りなど感染リスクが高い場所に行った際も手洗いをしていただかないといけない。
佐藤 わかってはいても、なかなか難しいところがあります。
掬川 まずはどういう場所の感染リスクが高いか、どんな行為のリスクが高いかという情報を提供させていただき、それをもとに少しずつ習慣を作っていただきたい。
佐藤 どんな情報になるのですか。
掬川 いま筑波大学と共同で、家庭内でウイルスがどのように拡散するのかというシミュレーションをもとに、接触感染のリスクを分析しています。これを公共の場面などにも拡張し、さまざまなリスクに対応できる情報にしたい。さらに理化学研究所とも研究を進めており、スーパーコンピューター「富岳」による飛沫感染リスクも合わせた情報を飲食店などに提供したいですね。
佐藤 いま、以前よりは減ったとはいえ、まだまだコロナは脅威です。ウクライナで戦争が始まってから、関心が薄くなりましたが、継続的に対策を行わねばなりませんし、新しい知見を求める姿勢も大切です。
掬川 この近くで行われる隅田川の花火大会は3年連続で中止となりました。このままだと、日本の文化が廃れてしまいかねない。「インフェクションコントロール」ですべてが解決できるわけではありませんが、少しでも感染の歯止めとなるよう貢献していきたいですね。
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