浮気相手との「ウェディング写真」がバレて自殺未遂 43歳男性が情けなくなった“自分の性格”とは

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「断り切れない」

 常に気持ちがもやもやしていた。自分だけが理不尽な目にあっていると思うのだが、それをどう訴えたらいいかもわからなかった。

「僕が三流高校に入ったころ、兄は国立大学に合格。ところが母の自慢の兄は、自ら家を出て行ったんです。家から通える大学なのに。母は半狂乱になっていました。兄は居場所すら教えなかったから。あとから想像すると、どうやら父が手助けしていたようですね。僕は密かにほくそ笑み、そんな自分を恥じました。そして僕が進学したのは三流大学。これは母がそう言ったんです」

 そのころは母とは一言も言葉を交わさなくなっていた。兄を失った母は、ときおり勇喜さんにすり寄ってきたが、彼は戸惑ばかりだった。母とのつきあい方がまったくわからなかったからだ。

「大学2年のころ、同級生の彼女ができたんです。僕からアプローチしたわけではなくて、彼女から言い寄られて……。断り切れなかったのと、家を出るいい機会だと思って彼女のアパートに転がり込みました。だけど僕には誠実さがなかった。彼女のアパートに、別の女性を引っ張り込んだりもした。それも、その女性がついてきちゃったので断り切れなくて……。当然、彼女の怒りを買って追い出されました」

 そんな学生時代を経て就職。社会人になると、断り切れない彼は案外重宝された。出世街道は最初から歩む気もなかったが、かわいがってくれる上司がいたのでなんとかやっていくことができたようだ。

結婚すると母に告げたら…

 30歳のとき、上司の紹介で知り合った2歳年上の女性と結婚した。彼女のはにかんだような笑顔に心惹かれたのだという。

「妻になった鞠子は、明るくていい人です。僕みたいな屈託はなくて、心もまっすぐだった。結婚することは決めたけど、僕はほとんど親とは連絡をとっていなかったので、結婚式はしたくなかった。だけど上司の紹介だからしないわけにもいかない。久しぶりに親に連絡をとり、結婚式をするけどと言ったら、母は『あらそう』と一言。そのころ、兄が家に帰ってきたようで、もう僕には興味がなかったようです。知らなかったんですが、父は末期がんを患っていた。半年後に亡くなったとき初めて聞きました。それすら知らせないということは、僕はいないも同然の家族だったんでしょうね。上司にあらいざらい話しました。上司は気を遣ってくれて、厳かな結婚式ではなく、軽いパーティにしてくれました」

 どうしてそこまで母は彼を嫌ったのだろう。折り合いの悪い義母のめんどうを見てくれた次男なのに。勇喜さんは、「母はおそらく娘がほしかったんでしょう。二番目も男の子でがっかりしたのと、長男と違ってできが悪かったから嫌だったんじゃないでしょうか」と思っているのだが、あまりの対応に解せない気持ちが消えない。

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