元極道YouTuberが振り返る「ヤクザを辞めた日」 公共料金すら支払えない困窮と母の愛

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そして飛んだ

 最後は身内を食うしかない。親兄弟、中学校時代の友達。それが末路。でも、自分はそれだけはしたくなかった。

 1年経って、2次団体執行部は「カネが納められないなら、若い衆を部屋住みに入れろ、運転手にしろ」と要求してきました。もう若い衆を利用してまでヤクザを続けたくなかった。その場をしのいだところで自分が潰れてしまうことは目に見えていた。だから、先に若い衆たちを逃したんです。そして自分も飛んだ。

 辞めるのは簡単でしたよ。携帯の呼び出しには応じず、ほとぼりが冷めるまで他県に移り住む。知り合いの刑事一人にだけ、“辞める”と伝えておきました。「今後、何か事件が起きても俺じゃないよ」と伝えておきたかったから。

 しばらくは電話がずっと鳴っていました。でも、いずれ止む。追っかけてくるようなこともないです。辞めたいって人を強引に呼び戻すような組織力は残っていませんから。彼らもバカじゃないから、そんな無駄な労力は割かないわけです。2、3カ月して破門状が出たと人づてに聞いて、ようやく辞められたとホッとした。

 ここからようやく社会人として一からのスタートです。40代の元ヤクザ。学歴は中卒。職歴ゼロ。未来なんて開けません。結局、やることは以前と変わらない。仕事を誰かに紹介して上前をハネる。でも、それだってヤクザ時代にそうだったように限界を迎える。

「社会にいてくれるだけで十分」

 生活費を工面するために借金生活が始まります。架空の会社に勤務していることにして、なんとかファイナンスでキャッシング。惨めなんてものじゃない。携帯代、光熱費にすら事欠くんです。支払いはずっと1カ月遅れ。ギリギリの生活を続けているから、引き落としなんてできないんですよ。

 結局、両親に頼りました。私はヤクザ者にしてはめずらしく実家はちゃんとしていて、両親が上場企業に勤務しているような家だった。母親は私が50になるまで年金と電話代を払い続けてくれました。「滞納したら、また刑務所に近づくでしょ」「社会にいてくれるだけで十分です」って。家族がいなければ、今頃どうなっていたかわかりません。

 身から出た錆だろう、真面目に肉体労働すればいい――そう思われるかもしれないですが、それが出来なかった。朝から晩まで働いて1万円稼いで、25日働いて25万円。家賃と光熱費を払って、残るものなんてないでしょう。そんな風にコツコツやる気力はもはや残っていなかった。

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