元極道YouTuberが振り返る「ヤクザを辞めた日」 公共料金すら支払えない困窮と母の愛

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 ヤクザから人気YouTuberに。異色の転身を成し得たのがバーチャルYouTuberの懲役太郎氏(55)である。チャンネル開設から4年で登録者数42万人。なぜ彼は、社会の日陰から表舞台へと身を移したのか。組抜けした”あの日”からこれまでを振り返ってもらった。

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組長が自殺

 ヤクザ稼業から足を洗って15年以上になります。辞めた理由は食えなくなったから。私が稼業に入ったのが18歳で、抜けたのは40歳になったくらいの頃です。その間、2年、4年、4年と3回、懲役に行きました。稼業を続けていくつもりでいたからこそ、合わせて10年も務めを果たしたわけです。

 1回目、2回目までは、帰ってきたらいい思いができました。いわゆる「放免祝い」です。組だけでなく周りにいたカタギの人たちも、住むところやシノギを用意してくれて、しばらく甘やかしてくれるのです。しかし、3回目に戻った時は、お祝いどころか金策に追われる地獄が待っていた。当時、私は3次団体の若頭でしたが、戻って1年くらいで組長が自殺。理由はカネに詰まってしまったからでした。

 上部団体、すなわち2次団体の執行部は、私に「組を継げ」と言ってきました。私は「無理です」と断りました。出世はヤクザの華だと思われるかもしれませんが、代わりに待っているのは厳しい制約です。時間、体、いわゆる上納といわれる出費(事務所の維持費・管理費をまかなうための組費)。親分が自殺するような組には、資金力も求心力も残っていません。

シノギがない

「じゃあ1年間、組費・維持費とかを免除してやるから、その間に何とか体制を作れ」と言われました。そして、組という形ではないけど、残った組員10人くらいを私の舎弟にして、私は2次団体の若頭の舎弟になった。けれど、「もう限界だな」と考え始めていました。

 ヤクザを取り巻く環境は、まったく変わってしまった。昔は株も不動産も買えたし、やる気さえあれば建設会社や警備会社を作って会社経営もできた。けれど、暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が改正されてからは全部NG。残っているのは詐欺や闇金、クスリくらい。そんな犯罪に手を染めたら、また刑務所戻りです。

 カタギの人たちもどんどん距離を置いていく。昔は「どうぞ使ってください」ってお金を持ってきてくれたんですよ。ヤクザを笠に着て威張りたいので。ヤクザが歌舞伎役者や相撲のタニマチみたいにちやほやされていたんです。でもいつしか「コンプラに引っかかる」と、私たちは煙たがられる存在になっていました。

 シノギがなくなったヤクザ者はどうやってカネを作るのか? 借りて返さない。このくらいしかない。もちろん最初は返すつもりです。でも、お金を生み出す手段がないからバックれ、それを繰り返して周囲を潰していく。

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