巖さんはなぜ「裏木戸の下部を3回通り抜けた」ことになったのか【袴田事件と世界一の姉】

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 袴田事件では、なんとしても袴田巖さん(86)を犯人に仕立てたい静岡県警の「無理筋」から「現実にはありえない行動」が作り上げられた。今回はその1つ、殺害された橋本藤雄邸への巖さんの「強盗殺人犯行時の出入り」を取り上げる。1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた一家4人殺人放火事件で犯人とされ、死刑囚として半世紀近く囚われた巖さんの「世紀の冤罪」を問う連載「袴田事件と世界一の姉」の第20回。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

「人間の命はあっけない」

 7月8日に奈良市で起きた安倍晋三元首相の狙撃死亡事件で走り回ることになり、連載の執筆が遅れた。巖さんの冤罪とは全く関係はなく申し訳なかったが、ひで子さんに電話でこの事件の感想を伺うと「安倍さんに会ったことはないけど、そりゃあ、驚きましたよ。人間の命なんてあっけないものだなと思いました」と話してくれた。

 89歳のひで子さんとて、生誕の前年に犬養毅首相が殺された「五・一五事件」(1932[昭和7]年)や、高橋是清蔵相らが殺された3歳の時の「二・二六事件」(1936[昭和11]年)を覚えているわけではない。

「政治家が襲われた事件で覚えておられるものはありますか?」と尋ねると、「なんか壇上で演説中に襲われて刺されて殺された事件を、役所に勤めていた頃、ニュースで見ていて覚えてますよ。池田さんだっけ?」と話した。突然の質問だったので、ひで子さんは池田隼人首相(総理在任1960~1964年)と勘違いしたようだが、1960(昭和35)年の社会党の浅沼稲次郎委員長が右翼青年に刺殺された暗殺事件のことだった。当時、テレビでも暗殺の瞬間が報じられている。ひで子さんが浜松市の税務署で働いていた27歳の頃の大事件だ。

 安倍政治には批判的だった筆者だが、事件翌日、花屋に30分並んで献花した。歴代最長の首相在任期間を誇りながら、杜撰な警備で凶行に倒れた同世代の保守政治家の冥福を祈る。

ひで子さんも法廷入りすることに

 静岡市清水区での支援集会の翌日の6月27日、東京高裁で三者協議があった。この日は、7月22日、8月1日、5日の3回にわたって、「5点の衣類」の血痕の色変化の鑑定人を、弁護側、検察側と分けて証人尋問することが決まった。法廷には巖さんの保佐人の立場として、ひで子さんが初めて同席できることになった。ひで子さんは記者会見にリモート参加し、「ありがとうございます。長い裁判でしたが喜んでおります。証人尋問も始まるので頑張って行こうと思います」と話した。ひで子さんが法廷に入るのは一審の静岡地裁と控訴審の東京高裁以来だ。

 高裁の裁判官は検察官が続けている味噌漬け実験について「実験状況を直接見たい」と意欲的だという。法廷証言や書面審査が中心の裁判官は、通常、そうしたものは写真で判断するが、写真というのは撮影条件などでかなり異なる色に見える。裁判官が肉眼で実験を見ることは評価できる。とはいえ、「何色に見えるか」は、ある意味、主観でもある。

 筆者がそれを質問すると、笹森学弁護士は「検察は早く店じまい(実験を終える)したいのでしょうが、11月まで続けることになった。常識人ならどんどん黒くなってゆくことを確認でき、我々の鑑定を裏付けることになるでしょう。黒を赤だという裁判官なら知りませんが、心配はしていません」と答えた。西嶋勝彦弁護団長は「最終意見書をまとめ、来年の春には再審開始が決まるのではないか」などと語った。

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