安倍元首相の国葬案に賛否両論 吉田茂という前例も“高いハードル”
国葬の特徴
日本でも明治維新によって近代国家に生まれ変わったことから、国葬の整備が進められていった。
「日本史上初の国葬が行われたのは、1883(明治16)年、外務卿、右大臣、太政大臣代理などを歴任した岩倉具視(1825~1883)でした。その後、1926(大正15)年に国葬令が公布され、法整備が完成したのです」(同・記者)
戦前の日本における国葬の特徴は、「天皇と皇族、その臣下」を対象にしたという点が挙げられるだろう。
「明治天皇(1852~1912)と大正天皇(1879~1926)は国葬でした。1910(明治43)年の韓国併合により、大韓帝国の皇帝経験者も国葬となりました。更に、政府に多大な功績があったという理由から、岩倉具視や三条実美(1837~1891)といった“明治の元勲”も国葬になっています」(同・記者)
戦功を上げた軍人も対象となった。元帥海軍大将の東郷平八郎(1848~1934)や山本五十六(1884~1943)も国葬が行われている。
吉田茂は国葬
日本の場合はアメリカと異なり、戦前も戦後も一貫して「首相経験者」という経歴だけでは国葬の対象者とはならない。それは、暗殺の被害者であっても変わらない。
「首相経験者の伊藤博文(1841~1909)は、初代韓国統監だった際、安重根(1879~1910)に射殺され、国葬が行われました。国葬となった理由は、彼が公爵であり、いわゆる“明治の元勲”だったからでしょう。その証拠に、首相在任中に刺殺された原敬(1856~1921)も、二・二六事件で射殺された元首相の高橋是清(1854~1936)も、いずれも国葬ではありません」(同・記者)
第二次世界大戦後、大日本帝国憲法のもとに規定された国葬令は失効した。だが、吉田茂(1878~1967)が死去した際、当時の首相だった佐藤栄作(1901~1975)は国葬を断行した。
「確かに、サンフランシスコ平和条約に調印し、戦後復興を成し遂げた首相ですから、国葬の対象になるのは分かります。しかし、反対意見も根強かった。最大の理由は『政教分離の原則に違反する可能性がある』というものでした。最終的に佐藤首相が国葬を強行するような格好となったこともあり、その後、政府は『首相経験者の国葬』に慎重な態度を取るようになります」(同・記者)
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