大逆風をはねのけ初当選の生稲晃子氏 陣営スタッフが混乱の“元凶”と名指しする2人の「自民大物議員」
「私が随行やるわ!」
連日猛暑が続いたので、生稲氏の体力の心配もされた。選挙戦の半ばに開かれた選対会議で「商店街の練り歩きをやめて、辻立ちして人を呼ぶ」という方針が一度決まったという。だが、
「その会議が終わった直後に、下村さんは自分の選挙区がある板橋区の『ハッピーロード大山商店街』で生稲さんを連れて練り歩き出したんです。みんな『さっき決まったことは何だったんだ』と唖然です。結局、選挙期間を通して、4、5回は板橋の大山で連れ回していましたね」(同)
連れ回しでは、松島みどり元法相も負けていなかったという。下村氏が地方議員を“更迭”するや、「私が随行やるわ!」と名乗り出たという。だが、この人もこの人で、
「いざ街頭をやると現場にいないんです。暑いから日陰に引っ込んでいるんですよ。けれど、自分の選挙区である東京14区を回る時になるとシュッと現れ、生稲さんの横を離れない。この人は、予定されている衆院選挙区の区割り変更がもろに自分の選挙区に影響するとあって、生稲さんを利用しようと必死だったんです」(同)
比例区の今井絵理子氏とのコラボ街頭を浅草・雷門でやった時も、
「『ここまで来ているのなら、隅田川を越えてスカイツリーでもやりなさいよ!』とか、勝手なことを言い出す始末。安倍さんが亡くなった日の午後も彼女の選挙区を回る予定だったんですが、キャンセルになるとすかさず遊説班に注文をつけてきて、銀座の最終演説の後に無理やり墨田区の街頭演説を入れさせていました」(同)
「俺がやる!」
さらに二人が左右から、”演説はこうしろ”、”歩き方はこう”、”手の振り方は……”などと、生稲氏に“振り付け”をしようと大変だったという。板挟みでどう振る舞えばいいかわからず、精神的に参っていったという生稲氏。
「アンケートの炎上問題も出てきて、見るに見かねて、多摩地区の選対本部長だった長島昭久さんが『いちばん現場の状況を把握している広報担当の川松真太郎都議に生稲氏の指導を一本化しよう』と提案したみたいなんです。けど、そこでも下村さんが『俺がやる』としゃしゃり出てきて、またみんなで『ハアー』ってため息。最後は川松さんも『俺は尻拭いのためにここへ来たんじゃない』ってわめき散らしていましたね」(同)
生稲氏にとって、いろいろな意味で大変な初陣だったのである。