伝送路が変わってもラジオの文化を発信し続ける――檜原麻希(ニッポン放送代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
音声の力
佐藤 私は東京拘置所に512日いましたが、娯楽は本とラジオだけでした。ラジオについては、年に2回、何を聴きたいか、アンケートが配られます。例えば「野球はジャイアンツ戦が中心でいいか」といった項目がある。
檜原 細かいですね。
佐藤 その結果をもとに、拘置所当局がAM、FM各放送局、それと葛飾のコミュニティー局などから番組を選びます。そこでいつも人気なのは、ニッポン放送の野球中継「ショウアップナイター」でした。
檜原 よかったです。
佐藤 ただ拘置所だと、夜は8時55分に番組が切られてしまうんです。そして9時には「減灯」と言って、照明が少し暗くなります。その間は、松山千春さんや中島みゆきさん、松任谷由実さんの歌が流れるんです。
檜原 それは全員が同じものを聴かなくてはならないのですか。
佐藤 そうです。それで当時、私の隣にいたのが、連合赤軍事件で16人を殺した坂口弘死刑囚でした。彼はナイターが途切れると、翌朝、必ず看守に「昨日の結果はどうなりましたか」と聞いていましたね。「ショウアップナイター」は超人気番組でした。
檜原 ということは、東京拘置所に収監されている人は、ジャイアンツファンが多いのかな。
佐藤 そうかもしれません。
檜原 テレビは見られないのですね。
佐藤 未決囚は見られません。でも確定死刑囚になるとビデオを見ることができます。処遇が上がるのです。
檜原 へぇ、まったく知らない世界です。
佐藤 私は途中から獄舎が替わったのですが、その時、スピーカーがモノラルからステレオになったんです。すると、もう音質が全然違うんですね。ラジオから聞こえてくる話も、より一層くっきり情景として浮かんでくるんですよ。
檜原 やっぱり声の力ってすごいですよね。それにラジオは、孤独を感じている人にとっては、友達みたいなものだと思います。コロナ禍の中でも、在宅を強いられて誰にも会わず、孤独を感じていた人にとっては、それを紛らわせる絶好のツールになったようです。
佐藤 コロナはラジオを再認識する機会になったと思いますね。
檜原 一昨年、緊急事態宣言が発令されると、昼間に家で親子一緒にラジオを聴いたり、ラジオをつけっぱなしでテレワークする人がいたり、ラジオの習慣化が進みました。その後、ラジオとの接触率は、時間が経っても下がっていないんです。
佐藤 番組を後から聴けるようになるなど、ラジオを取り巻く環境が整備されていたことも大きいでしょうね。
檜原 はい。スマートフォンやパソコンでラジオ番組を聴くことができる「radiko(ラジコ)」は、民放各社等が集まり、2010年に生まれました。無料でお住まいのエリアの番組が聴けます。またタイムフリーで、過去1週間以内なら、聴き逃した番組が自由な時間に聴けます。やはり忙しい日々の中で、自分の生活に合わせて聴きたいという人は増えている。コロナ禍ではこうしたサービスの利用も増え、ラジオがいっそう身近なものになった気がします。
佐藤 radikoでまとまったように、ラジオ局には会社を超えて共通文化のようなものがありますね。
檜原 はい。いまも民放ラジオ全99局が集まり、今年デビュー50周年のユーミンをアンバサダーに“スピーカーでラジオを聴こう”キャンペーンを行っています。家族や仲間と同じ時間、同じ音空間に包まれる体験をしていただこうという提案ですが、全局でユーミンの楽曲のリクエストを募り、松任谷由実50周年リクエスト・ベストアルバムを作ろうとしています。こうしたイベントもラジオならではだと思いますね。
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