企業広告に登場し、スポーツ商業化を牽引 五輪陸上4冠王が「無名の学生だったころ」(小林信也)

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「ヒロシ、頼む」

「81年か82年に電通から『富士ゼロックスがフォルムの美しい外国人スプリンターを探している。候補を挙げてくれないか』と依頼されました」

 数名の候補の中から選ばれたのがカール・ルイスという無名の大学生だった。

「まだジュニアカレッジの学生でした。所属はサンタモニカ・トラック・クラブ。窓口はクラブのジョー・ダグラスさんでした」

 後に敏腕ビジネスマネジャーとして名をはせるダグラスも当時は数学教師が生業で、傍らで陸上クラブを運営していたという。

 ゼロックスはカールが幅跳びで跳ぶ姿を連続写真風に描写する広告を作った。新聞の見開きを使ったインパクトのあるビジュアル。

「まだ常に優勝するほどの選手ではなかったと思います。広告の報酬はたしか1万ドルくらいでした」

 ロス五輪でカールは200メートルを含む4冠に輝いた。ジェシー・オーエンス以来48年ぶりの快挙。カールの契約金はうなぎのぼりとなる。カールはスポーツの商業化に覚醒を与えた先駆的なアスリートとなった。

 もうひとつ、知られざる逸話がある。4冠達成の最後の種目400メートルリレーを前に、カールは太ももの違和感を訴えた。頼ったのは、ナイキ・ジャパンのトレーナー白石宏だった。

「ヒロシ、頼む」、泣きそうな顔で対処を求めた。白石は渾身の施術をし、祈る思いでカールを送り出した。いつアクシデントが起こってもおかしくない……、内情を知る関係者が心臓を凍らせて見る中、カールは無事ゴールテープを切り、「永遠に語り継がれるスプリンター」となった。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年7月7日号掲載

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