選挙特番“秘史” タモリの「センキョでいいとも!」「パンチDEセンキョ」 バラエティ化を進めたのはフジテレビだった

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

 10日夜のテレビは参院選の開票特番一色になる。TBSには太田光(57)が出演。テレビ東京には鈴木福(18)が登場し、フジテレビには井上咲楽(22)が出る。良く言えば親しみやすい顔ぶれだが、開票特番のバラエティー番組化と言える。開票特番はどう変わってきたのか?

ブッ飛んでいたフジ「センキョでいいとも!」

 開票特番にバラエティー色を付けた草分けはフジ。1983年6月の参院選時に「タモリのセンキョでいいとも!」を放送した。

 MCは言うまでもなくタモリ(76)。この約8カ月前の1982年10月に始まった「笑っていいとも!」(2014年終了)をベースにした番組で、「センキョでいいとも!」のコールもあった。

 ゲストとしてジャンパーとジーパン姿の所ジョージ(67)も登場。呑気な歌までうたったから、今となって考えると、かなりブッ飛んだ開票特番だった。

 半面、大物2人が登場しながら、あまり笑えなかった。あくまで開票特番であり、面白さは二の次だったのだろう。演出に当たったのも故・横澤彪さんら「いいとも」制作チームではなく、報道番組の制作スタッフだった。

 タモリと言えばノンポリの人として知られる。なので「センキョでいいとも!」でのMC役の過去を意外に思う人もいるのではないか。

 タモリの開票特番への登場はこれっきり。ひょっとしたら本人にとっては黒歴史かも知れない。この番組はタモリの登場もあって、視聴率は民放の開票特番では上位だった。

 フジが「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに掲げ、12年連続で年間視聴率3冠王を獲ったのは1982年以降。だが、開票特番のバラエティー化はそれ以前から始まっていた。

過去には「パンチDEセンキョ」も

 1976年12月の衆院選、1977年7月の参院選、1979年10月の衆院選でそれぞれ放送された「パンチDEセンキョ」である。1980年6月の衆参ダブル選では同じスタイルの「ダブルDEセンキョ」をつくった。

 ベースとなった番組は桂三枝=現・6代目桂文枝=(78)と西川きよし(76)が司会を務めていた「パンチDEデート」(1973~1984年)。若い方にはピンと来ないかも知れない。当時、大人気を博したお見合い番組である。現代風に言い換えると、マッチングショーだ。

 大学生ら一般公募の男女が出演し、お見合いを行う。相手が気に入ったら、ハート型のランプを点ける。双方ともランプを点けたら晴れてカップル誕生となる。やがて結婚したカップルもいた。

 こんな番組を開票特番に仕立ててしまったのだから、黄金期前夜のフジはノリが良く、イケイケだった。もっとも、さすがにお見合いの部分は開票特番から排除されており、三枝ときよしが明るく愉快に進行させる番組だった。

 どうして当時のフジは開票特番をバラエティー化したのか。理由は単純明快。高視聴率を得たかったからだ。

 開票時間が現在のように長時間化したのは1970年代以降で、同時に視聴率争いが始まった。トップは断トツでNHK。民放は五十歩百歩だった。内容は全局ともガチガチに硬かった。

 そこでフジは民放内で上位に立つため、他局との区別化を図った。思いっきり軟らかくした訳である。

 1972年12月の衆院選でフジは開票特番の1つとして「歌でつづる戦後選挙史」を放送した。故・水原弘さんら歌手が登場し、選挙の歴史を歌で表した。なぜ、開票特番でレコード大賞歌手の水原さんが歌わなければならなかったのか…。昔のフジは今よりずっと大胆だった。

 フジ以外の開票特番は1980年代半ばまで硬いまま。「開票特番とはそういうもの」という暗黙の了解があった。民放では特にTBSが硬く、ゲストすらほとんど招かなかった。

次ページ:テレ朝「選挙ステーション」がもたらした変化

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。