「吐きそうなくらい気持ち悪い」 45歳男性が「女社長」との不倫を妻に罵られカチンときたワケ

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家庭を一変させた事故

 敏紀さんは、関東北部の町で会社経営者の父と専業主婦の母のもとに産まれ育った。4歳年上の兄がいたのだが、彼が小学校1年生のときに事故で瀕死の重傷を負った。

「兄と一緒に遊んでいたら車が突っ込んできた。兄は僕をかばって跳ね飛ばされたんです。それは今も僕の心の傷になっている。取り乱した母は、病院で僕に『どういう状況だったの』と叫んだあと、『あんたが代わりになればよかったのに』と絶叫したんです。周りには誰もいなかった。兄は勉強もスポーツもできる子で、どんなときも周りの期待を裏切らない子だった。事故の直前にあった運動会のリレーでは、最後尾でバトンを受けた兄が次から次へとみんなを追い抜いて1位でゴールした。もう、学校だけじゃなくて地元でもヒーローでした。両親も兄にはさまざまな可能性があると期待していた。僕は小さいころからぼんやりした子だったから、母がとっさに本音を叫んでしまったのも無理はないのかもしれません」

 敏紀さんは泣き笑いのような表情でそうつぶやいた。幼い彼がどんなにせつない思いをしたのか、似たような経験がある私も気持ちが過去にひきずられそうになる。

 その事故を機に家族のバランスが崩れた。母は兄につきっきりになり、父は帰ってこなくなった。敏紀さんはひとりで菓子パンを買って夕食にした。

 1年たってようやく兄が退院できたときは、父はすでに家にはいなかった。両親がどういう話し合いを経て離婚したのか、彼はいまだに知らないという。

「兄のリハビリは続いて、母はそれをサポートする日々でした。僕には『あんたはおとうさんと一緒に住みなさい』と言ったけど、いつの間にかその話は立ち消えになっていましたね。父はたぶんすぐに再婚したんでしょう。それからさらに1年近くたって、兄は中学生となり、自分の足で歩けるようになりました。母はホッとしたのか寝ついた時期もあったけど、それからは仕事を始めました。のちのち知ったんですが、母が勤めていたのは父が経営する会社だった。よくわからないけど、離婚後も関係があったみたいですね。親という立場ではなく、ただの男女として」

 そのあたりの詳細を彼は知らないし、知ろうとも思わなかったそう。だが、兄はその一件で母を恨んでいたようだ。事故後、献身的な母親の看護を受けて、兄はすっかり「マザコン」になっていた。体が回復してからも、母がいなければ何もできないと、甘え放題だったのだ。だからこそ、母が離婚した父と男女関係にあったと知ったとき、兄のショックは大きかった。

「おまえもおかあさんに楯突けと言われたことがあります。でも僕にはどうでもよかった。そうしたら兄は高校を卒業してすぐ、家を出て行ってしまいました。母の嘆きは半端じゃなかった。なんだか母の深情けみたいなものと、兄の愛憎が入り交じって、家の中が粘り着くような雰囲気だったんです。兄がいなくなってせいせいしたというのが僕の本音。誰にも言えなかったけど」

 10代の多感な時期を、落ち着かない家族環境の中で自身の複雑な心情を整理できないまま、彼は専門学校を卒業し、21歳で社会に出た。当時50歳になったばかりの母は、まだときおり父に会っていたようだ。

「ぐずぐずと父にくっついていたり、兄をあきらめきれなかったり。母はいろいろなものを引きずりながら生きていた。それを見ながら、僕はああいう女性とは違うタイプと結婚する。そう思っていました」

 だから年下だが、凜として生きている紀代実さんを好きになったのだ。

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