「イット!」カトパン後任の宮司愛海アナ マンガ・落語好き、スキャンダルなしの素顔
フジテレビ系夕方のニュース番組「Live News イット!」の平日版メインキャスターを務めるフリーアナウンサー・加藤綾子アナが9月いっぱいで番組を卒業する。その後任として名が挙がったのが、宮司愛海アナだ。
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宮司アナといえば、この4月まで月週末夜のスポーツ番組「S-PARK」でメインキャスターを担当し、2021、22年と2度五輪中継でやはりメインを任されている。公式インスタグラムのフォロワーは30万人近い。近年では“フジテレビのエース”との呼び声も高くなっていた。その経歴や人柄、魅力を探ってみたい。
生年月日は91年7月29日生まれの現在30歳。出身地は福岡県福岡市早良区で、地元のキリスト教系の私立高校を卒業後、10年に早稲田大学文化構想学部へ進学した。自身の取り柄である“フットワークの軽さ”を武器に、大学時代はさまざまなジャンルの活動に挑戦。サークル活動ではファッション系の出版サークルと早稲田大学放送研究会に所属した。1年時にはサークルの先輩から勧められ、「MIISS CIRCLE CONTEST 2010」にエントリーし、見事グランプリを受賞している。翌11年には早大のミスコン「Waseda Collection 2011」でグランプリに輝いた。以降、WILLCOMイメージガールなどのモデルを務めた。
テレビにも出演し、テレビ朝日の深夜で放送されていた「学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!」に学生秘書で出演したかと思えば、同じくテレ朝の深夜バラエティ「激論! どっちマニア」には早大生代表の1人として登場。ライバル慶應義塾大学の学生相手に、どちらの大学生がより魅力的かを議論していた。いわゆる“学生キャスター”ではないのだが、しっかりと“爪あと”を残していたのである。
その一方、13年1~7月にかけて休学し、シンガポールの日系の大手広告代理店やローカル企業でインターンシップを経験。また、タイのテレビ局で働いていた経歴もある。大学には5年間在籍していた。
復学と卒業を経て、フジテレビに入社したのは15年4月のこと。初レギュラーは平日早朝の情報番組「めざましテレビアクア」で、同年9月末からお天気コーナーを担当した。翌年4月からはスポーツコーナーを半年間担当。同時に「めざましテレビ」の情報キャスターを18年3月末まで兼務していた。そして4月から半年間、金曜日のエンタメキャスターとして“めざましファミリー”を担ったのであった。
スポーツの経験も豊富
バラエティでは、現在「潜在能力テスト」と「タイプライターズ~物書きの世界~」の進行役を務めている。入社1年目の15年10月にはさまぁ~ずと「さまぁ~ずの神ギ問」で共演を果たしているのだ。進行役を番組が終了する18年9月末まで担当していた。初回放送ではいきなりさまぁ~ずの2人が悪ふざけ気味の下ネタを応酬しているが、これに宮司アナは「基本は(下ネタも)ウェルカムです。立ち向かっていきたいな」と宣言。その堂々とした仕切りぶりに三村マサカズから「拒否らない感じが良かった」と信頼を得ることに成功したのであった。
また16年2月から17年2月末まで子供向け鉄道CGアニメ「GO!GO!チャギントン」で4代目ナビゲーターを、同年4月から17年3月まで深夜のスポーツトークバラエティ「スポーツジャングル」で進行を務めた。振り返ってみると若手時代は主に情報・バラエティ系ジャンルでの活躍が目立っていたわけだ。
大きな転機が訪れたのは18年春。土日深夜の新スポーツニュース番組「S-PARK」の女性メインキャスターに抜擢されたのだ。直前に開催された平昌冬季五輪の現場を「めざましテレビ」の取材班として訪れているため、まったくの未経験というわけではなかったが、本格的なスポーツ番組のMCは初挑戦だった。とにかく現場に足を運び、試合を観て、選手の言葉を拾い、取材ノートを作り、見聞きした知識は全部持って帰っていった。放送を続けていくなかでスポーツキャスターとしても成長していったのである。
また、主に五輪を目指すトップアスリートに密着する不定期放送のスポーツドキュメンタリー「村上信五∞情熱の鼓動」では選手の人柄にも触れ、加えてフィギュアスケートや柔道などのスポーツ中継も担当し、着実に“スポーツ中継の顔”としてのキャリアを重ねていった。その先に待っていたのが、21年の東京2020五輪と22年の北京冬季五輪のメインだった。
そのままスポーツキャスターの道を極めるかと思われたが、この春に突然、報道へ転向。月・火お昼の「FNN Live News days」につづき、「Live News イット!」の平日メイン就任ということになる。スポーツから報道というのは他局でもよくみられる“王道の流れ”といえ、宮司アナはフジの看板に登りつめたといえよう。
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