棒高跳び日本記録・澤野大地が“強くなりたい”と思った瞬間 最初は「負けても悔しくなかった」(小林信也)
名伯楽が授けた言葉
強くなりたいと思い始めたのは、高校受験を控え、志望校を選ぶ時だった。
「近くにあった成田高校は陸上が強くて、棒高跳びで全国一、二を争う先輩もいた。そこに入れば強くなれると思って入学しました」
女子マラソンの増田明美、ハンマー投げの室伏広治ら多くの五輪選手を育てた滝田詔生(たきたつぐお)前監督も時々グラウンドに来ていた。
「成田高の練習はめちゃくちゃ楽しかった。走り方のドリル、サーキットトレーニングなど専門的にできました。辛かったけど、毎日楽しくて仕方なかった。私は相変わらず足が遅くて、女子選手の後ろを必死に食らいついていました」
そんな澤野のまなざしが世界に向く「覚醒の時」があった。高校2年の春から夏になるころだった。指導は監督の越川一紀に任せ、選手たちを見守る立場の滝田に、「澤野ちょっと」と声をかけられた。そして棒高跳びの先輩たちを見ながら、
「あの二人は5メートル20とか30の話をしているが、お前は5メートル40、50、世界を目指さなきゃいけない選手だぞ」
不意にそれを言われた時、
「滝田先生の言葉がスッと体に入ってきたのです」
その冬、滝田は病に倒れ、還らぬ人となる。翌夏、澤野はインターハイで5メートル40を跳んで優勝する。
「高校記録を跳んだにもかかわらず、『まだ世界でトップは取れない』という気持ちが大きかった。それでその後も『もっと上』を目指すことができた」
澤野は41歳になる昨秋、引退を発表した。
「競技を続ける根本にあったのは棒高跳びの楽しさでした。あの『フワッと感』が原動力でした」
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