棒高跳び日本記録・澤野大地が“強くなりたい”と思った瞬間 最初は「負けても悔しくなかった」(小林信也)
澤野大地は5メートル83の日本記録を持ち、2006年W杯アテネ大会で2位、16年リオ五輪で7位入賞、世界で優勝を争える選手だった。
傑出したセンスの賜物か、聞くと澤野はすぐ否定した。
「中学で陸上部に入ったのは、小学校5年の校内マラソンで3番、6年で2番に入ったから。走るって楽しいなと思って。でも、郡大会(現・千葉県印西市の大会)に出たらすごく遅くて、トップに周回遅れでした」
澤野は、陸上人生を振り返って、「才能より、出会いだ」とつくづく感じている。
「長距離を走る横に棒高跳びのマットがあった。顧問の岩井浩先生は棒高跳びが大好きで、陸上部の半分が棒高跳び選手という中学でした。棒高跳びの方が面白そうで、私も練習後にポールを持って平均台を渡ったり、ポールを使って砂場で幅跳びをしたり」
棒高跳びには特別な用具や設備が必要だ。澤野の中学には、岩井が作った棒高跳びのボックスや高いスタンドと厚いマットがあった。助走路にはどこかで調達したゴムが敷いてあった。
長距離でくすぶっていた澤野に岩井が声をかけたのは、中学1年の夏だった。
「澤野も、棒高跳びをやってみないか」
岩井に誘われるまま、棒高跳びを始めた。
「棒高跳びの技術トレーニングを遊びの延長上でやらせてくれた。楽しくて練習が全然苦じゃなかった」
ポールに体重を乗せ、ポールを曲げる動作は簡単に習得できなかった。ポールの反発をコントロールするのはまた大変で、たっぷり1年かかった。けれど、
「ポールの反発をもらってフワッと跳ぶ感覚を味わったら、もう逃げられなかった」、澤野が笑う。
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