食事療法と少量の抗がん剤を使用「がん共存療法」とは 『病院で死ぬということ』著者が自ら実践

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「がんで死ぬのが宿命」と思うように

 上記の詳細については『病院で死ぬということ』(主婦の友社、1990年、現・文春文庫)を参照いただきたい。

 その後、91年より、東京都小金井市の聖ヨハネ会桜町病院ホスピス(緩和ケア病棟、通称聖ヨハネホスピス)で、2005年からは、東京都小平市で、在宅での最期を迎えることを希望される方の想いに応えるべく、在宅ホスピスケア(在宅緩和ケア)を提供するケアタウン小平チームで、医師として働いてきた。

 なお、ホスピスケアも緩和ケアも同義であるため、以下は、ホスピスケアではなく最近では一般的になってきた緩和ケアと表記したい。

 さて、緩和ケアの重要性に目覚めてから今まで、私がその人生の最終章を同行させていただいた患者さんは、終末期がん患者さんだけで、2500名を超えている。

 こんなにも多くのがん患者さんの人生にかかわってきた私は、きっとがんになり、がんで死ぬことになるだろう、それが緩和ケア医として生きることを決意した私の宿命なのだと、いつの頃からか思うようになっていた。

 だから、大腸がんと確信した時、私は失意や衝撃ではなく、遂にその時がやって来たかと、腑に落ちた気持ちになれたのだ。

ステージ3から4へ

 その後に行われた大腸内視鏡検査と病理検査で、正式に大腸がんと診断され、18年11月、大腸がん切除術を受けた。術後の病理検査でステージ3の大腸がんであることが判明し、再発予防目的で、半年にわたる経口抗がん剤の服用が始まった。

 が、その副作用は、一時休薬を余儀なくされる程厳しいものだった。一番ひどかったのは手足に出た痛みである。指の関節や手のひらにある筋がしばしば割れ、出血した。医師の仕事は手を使う。絆創膏を貼り、痛み止めを飲んで対処していたが、次第にそれが足の裏にも出始めてきた。また、車の運転にも、ハンドルさばきやブレーキを踏むのも危険だなと思う程の影響が生じはじめた。下痢も酷かった。突然もよおし、間に合わないと思うこともしばしば。必ず診療前にはトイレに行くようにしていたが、これではとても仕事にならない。

 こうした日常が壊れる程の副作用に耐えた半年後の19年5月、その効果を確認するCT検査が行われた。結果、分かったことは、無罪放免ではなく、両側肺の多発転移という現実だった。いきなりステージ4の大腸がん患者になったのだ。

 さすがに動揺した。ため息をつきながら聞いた主治医の提案は、ステージ4の大腸がんに対する、標準治療としての、さらなる抗がん剤治療だった。

 抗がん剤治療の過酷な副作用を体験した私は、すぐに、「はい」とは言えなかった。1カ月ほどの猶予をお願いし、謝辞を述べて退室した私は、改めて、ステージ4の固形がんに対する抗がん剤治療の現実を考えた。なお、本文で表現する固形がんとは、肺がん、大腸がん、胃がん、肝臓がん、すい臓がんなどの、固まりを作るがん(胚細胞腫瘍、絨毛(じゅうもう)がんを除く)を意味している。

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