大崎事件は95歳で「再審請求棄却」 立ちはだかる検察の「抗告」という壁【袴田事件と世界一の姉】
袴田事件と大崎事件
袴田事件の支援もする鴨志田弁護士は浜松に講演に来たことがあり、ひで子さんや巖さんとは懇意だ。ひで子さんは「うちにも来てくれます。鴨志田さんは素晴らしい方ですよ。いつも巖のことで一生懸命になってくださっている」と感謝している。ひで子さんがアヤ子さんを激励するために鹿児島に行くこともあり、今年のアヤ子さんの誕生日には浜松からテレビ電話で励ましていた。
「アヤ子さんはもうお歳だけど、お誕生日にZoomで会った時は割と元気でしたよ。励ましたら、ものは言わないけど、こっちの言うことはわかっていたみたい」と話す。
鴨志田弁護士が地裁決定の翌日に39・5度の高熱で倒れてしまった(間もなく回復した)ことを伝えると、ひで子さんは「鴨志田さんもショックが大きかったんですよ。あんなに一生懸命やっているのに」と思いやった。
さらに「大崎事件も(裁判所の結果が)行ったり来たりしてきたでしょ。残念だけど、国のやり方なんてそんなものだと思う。無実だってわかっていても、国の都合でそうなってしまう。裁判は最終的に(結果が)出てみなければ分からんということですよ」と語った。
いつも快活なひで子さんだが、大崎事件の報を受けて「楽観的なことは言っていられない」との思いを新たにした様子だった。2018年6月に弟の再審開始決定を東京高裁が取り消して周囲が沈んでいた際、「何をかいわんや。100歳まででも戦います」と喝破して明るく振舞ったひで子さん。大崎事件が棄却された今回のほうが沈んでいる様子だった。本当に心温かい女性である。
会話が成り立ち始めた巖さん
6月26日、静岡市清水区のテルサで、「袴田巖さんを支援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)が主催する年2回恒例の「支援集会」が開かれた。司会は同会の山崎俊樹事務局長。この日は鴨志田弁護士が講演する予定だったが、超多忙なため実現しなかった。
「けしからん決定で彼女は今頃、必死に文書を作っているはず」と詫びた楳田代表は、袴田事件の争点の1つである「5点の衣類」が入っていたのと同じような麻袋を持ってきて、「検察実験では味噌の下で空気がないと赤みが残る、としていたが、味噌の塩分や水分が染み込んでおり、酸素は十分にある。前提が間違っている」などと簡単に説明した。
集会では袴田弁護団の若手・角替清美さんが「5点の衣類」をめぐる三者協議の現況を、「袴田さん支援クラブ」の白井孝明さんが日本の刑事裁判をわかりやすく解説。「見守り隊」の猪野待子隊長が豊富な写真で巖さんの近況を伝えた。これらに先立ち、冒頭、ひで子さんが挨拶した際、驚く発言があった。
「巖は最近、時々まともになるというか、私の言うことに返事するようになったんです。だから私もなるたけ話しかけるようにして、『今日はどこ行ってきたの?』とか言うようにしているんですよ。そうするとちゃんと返事してくれる。『学校行ってきてね、学校から駅へ回ったよ』とか。これまではそんなことは言わなかった。妄想の世界のことだけで、ほとんどまともな話はできなかったんです。ここへ来てちょっと変わってきたかなと思っていますが、まだ朝は妄想の世界です。今日も『清水行く?』『富士山見に行く?』と訊いたら『そんなところ行っても仕方ない』と言うんですよ」と申し訳なさそうに笑った。
「昔はそんなこと言わず、ただ黙ってついてきた。多少は拘禁症もよくなってきていると思います。ごく普通の生活をしていますが、医者にはかからないようにしています。巖はカテーテルが入っているから内科にはかかるけど、精神科にはかからない。精神科の薬も飲ませない。呑気に自由にさせるのが一番だと思っています。昼まででも寝ていることもありますが、早い時には朝6時に起きる。そんな時は慌てて朝食の支度をしたりします。その間、巖は長いトイレや歯を磨いたり。私も大変ですが、巖の48年に比べれば何でもございません。今年の秋か来年には(三者協議の)いい知らせが来ると思います。期待したいけど出てみなきゃわかりません。皆様にも本当に長い間、支えていただきました、今後もよろしくお願いします」と礼をすると、会場は大拍手だった。
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