大崎事件は95歳で「再審請求棄却」 立ちはだかる検察の「抗告」という壁【袴田事件と世界一の姉】

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 死刑の恐怖から来る拘禁症状の影響で、釈放後も「妄想世界」だけに生きているように見える袴田巖さん(86)。一緒に暮らす姉のひで子さん(89)とさえ普通の会話が成り立たなかったが、最近は改善しつつあるという。一方、ひで子さんが支援している鹿児島県の「大崎事件」で、殺人者の汚名をそそぐべく闘う原口アヤ子さん(95)の再審請求が棄却された。1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた一家4人殺人放火事件で犯人とされ、死刑囚として半世紀近く囚われた巖さんの「世紀の冤罪」を問う連載「袴田事件と世界一の姉」の第19回。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

小説なのかドキュメント作品なのか

 巖さんが殺人を「自白した」とされる1966(昭和41)年。小学4年生だった筆者は、当時、毎週日曜の夜7時半からTBSテレビの超人気アニメ『オバケのQ太郎』を家族で見ていた。そして、テレビから童謡「赤とんぼ」の素朴なメロディとともに『週刊新潮』のCMが流れるのを背に、勉強部屋に向かったものだった。

 その『週刊新潮』の1966年9月24日号で、袴田事件が9000字超、7ページに及ぶ特集で取り上げられている。筆者は推理小説作家として多数の作品を発表した津村秀介氏(1933~2000年)。「失われた甘い栄光」と題したこの特集は、同氏が20年にわたって連載した「黒い報告書」シリーズのひとつだった。以下は抜粋。

〈「おれのことなんか、誰にもわかるものか」

 そう叫ぶより早く、袴田は専務のボデイに強烈なストレートをくらわしていた。いくら元気な専務だといっても、これではたまったものではない。――ものも言わずに、裏木戸の前に崩れた。

「よくおぼえておけ、この腕はな、おまえなんかを倒すためにみがいたわけではない。おれはこの腕で“栄光”をつかみたかったんだ。それなのに……」

 一時的に袴田は狂っていた。だが、ある一面では、身勝手な論理が一貫していたともいえる。――しかも、そう叫んだことで、彼の昂奮状態がつのった。たまたま三人の家族が、物音におどろいて駈けだしてきたのもいけなかった。

 袴田は交互に四人を見た。

 眼が痛かった。彼に映る四人の姿は、二重にも三重にもダブっている。
「殺してやる!」

 汚れた血のような吐息が洩れ、無意識のうちにポケットの中のクリ小刀を抜きだしていた。内面の乱れと、事が発覚してしまったところからくる恐怖感とが、微妙にいりまじっている。

「待て袴田――」

「何も言うな!」

 袴田は小刀を専務の胸に突き刺した。家族が止めにはいろうとすると、誰彼の見境いもなく刺した。抵抗する相手にはアッパーカットをくらわせてから刺した。

 ゼイゼイと肩で息をしながら、野良犬のような風貌にかわっていた。――しかし彼自身も、自分の狂った行為を正確には記憶していない。殺人のあとで、工場から機械油を持ち出し、手で散水するように死体にかけ、マッチで火をつけたのも、上の空であった。

 火はまもなく燃え上がった。闇夜をこがすような、すさまじい火災となった。〉

 最後に〈(犯人以外は仮名)〉と記しているが、前段ではボクシング関係者との対話や離婚した妻との会話などが詳しく書かれている。どう見ても小説だが、巖さんは本名で記載されており、読者はほぼ事実と思っていただろう。当時の新聞報道などを見れば、津村氏が巖さんを真犯人と決めてかかるのは無理もない。

認められなかった95歳の訴え

 6月22日、ひで子さんも支援する大崎事件に関して、極めて残念な動きがあった。鹿児島地裁の中田幹人裁判長は、弁護団が提出した新証拠について「被害者が首を絞められ頸部圧迫で窒息死したという(確定判決の)認定に合理的な疑いを生じさせるとはいえない」と、殺人罪で服役したアヤ子さんの第4次再審請求を棄却してしまった。

 大崎事件を概略する。

 1979年10月、鹿児島県曽於郡大崎町の牛小屋でAさん(当時42歳)の遺体が見つかった。自転車に乗ったAさんが泥酔して側溝に落ち、倒れていたところを近所の2人が発見し、トラックの荷台に乗せて牛小屋へ運んだ。しかし鹿児島地検は、Aさんの長兄の妻の原口アヤ子さんと長兄、次兄が酒癖の悪い「厄介者」のAさんを殺してしまおうと共謀し、タオルで絞殺したとして起訴した。Aさんの兄弟ら3人が殺人罪などで有罪が確定、長兄の妻・アヤ子さんは「首謀者」とされ、無実を訴えたが懲役10年が確定。満期服役して1990年に出所した。有罪立証の根拠の中心は「アヤ子が首謀した」とする夫やその兄弟らの供述だった。

「あたいはやっちょらん」と一貫して無実を訴えたアヤ子さんは、裁判のやり直しを求める。1995年の第1次請求は鹿児島地裁で再審開始が認められながら、福岡高裁で棄却される。第2次請求は鹿児島地裁で棄却。第3次請求は鹿児島地裁と福岡高裁宮崎支部で再審開始が認められたが、2019年6月に最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)で取り消された。元夫ら親族の自白の信用性を改めて認めたのだ。地裁、高裁と認められた再審開始が最高裁で覆されたのは大崎事件が初めてのケースだ。

 弁護団は「Aさんが自転車ごと側溝に転倒した時に生じた内出血による出血性ショックで死亡した」と事故死を主張していた。殺人事件は存在しなかったということだ。

「まさか」の棄却に、当時、会見で鴨志田祐美弁護士が悔し涙を流す写真が多くの新聞に載った。

 だが、アヤ子さんと弁護団は挫けず、2020年3月に第4次再審請求を申し立てた。

 アヤ子さんは、今月15日に95歳になった。脳梗塞の影響で会話が出来ない状態で、鹿児島地裁に駆け付けられず、この日は支援者からパネルを見せられて棄却を知ったという。今回の請求審で弁護団は、Aさんの解剖を検証した救急救命医の鑑定書、証拠開示された司法解剖時の写真、さらに、殺害時刻の根拠となった近隣住民2人の「牛小屋に運んだ時は生きていた」とした供述を検討した心理学者らの鑑定書を、「新証拠」として出していた。しかし、中田裁判長は「決定的なものとは言えない」と退けた。

 鴨志田弁護士は鹿児島で会見後、空路上京した。午後6時からの東京の弁護士会館での会見に筆者は参加した。「これなら仕方ないという緻密な決定内容ならショックもありますが、鑑定で(Aさんが自宅に運ばれた時は既に死亡していたという)死亡時期が明確になっているのに新証拠を過小評価し、最高裁の小池決定に忖度したのか、初めに結輪ありきの穴だらけ、隙間だらけの決定。今日はアヤ子さんには会えませんでしたが、誕生日に会った時、闘う目をしていました。即刻抗告します」と力強く語っていた。

 大崎事件で「アヤ子が首謀者」などと供述した元夫ら肉親3人は知的障害があった。自身の弟に知的な障害があり、相手に迎合しやすい特性があることを熟知する鴨志田弁護士は「3人の供述弱者が取調官の意のままに供述させられた調書にまったく信用性はないのです。彼らから都合のよい供述を引き出すことは警察にとって赤子の手をひねる様なものですから」と話す。「身内同士の内輪揉め」のように見られたこともあり、世間の関心は高くはなかったが、鴨志田弁護士の奮戦で知られるようになった。

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