酸素吸入器をつけながら歌わせてと懇願 葛城ユキさん「最後のステージ」を夢グループ社長が語る
復帰コンサート
――5月17日、成田で行われたコンサートだった。
石田:今年3月に脳梗塞で入院されたあべ静江さんも一緒だったので、復帰の“お祝いコンサート”ということで出演してもらいました。でも、さすがに「ボヘミアン」を歌えるまでに復調していませんでした。この日は車椅子に座ったまま、ベット・ミドラーの「ローズ」1曲のみでした。
――この日、彼女は「まだ本来の形じゃありませんが、元の葛城ユキに戻れるよう1歩1歩体力をつけて歌い続けます」と語ったという。
石田:この後、葛城さんは体調を崩してしまったんです。余命は数週間と言われたそうです。でも、彼女は「ステージ上で死にたい」と言って……。
――6月17日、昼の部(千葉市)、夜の部(柏市)に出演してもらうことに。
石田:昼の部のリハーサルでは、彼女は息も絶え絶えで声も出ていなかったんです。もちろん車椅子です。とても歌える状態には見えませんでした。そこで、客席に向かって僕がアナウンスしたんです。「今日は葛城ユキの最後になると思います」と。ところが本番では、本来の30~40%くらいの声量だと思いますが、「ローズ」を歌ったんです。でも歌えたのは、3曲用意したうちの1曲のみでした。
――夜の部は?
カッコ良かった
石田:「行くだけ行きます」と言っていましたが、僕が会場に着くと、楽屋に彼女の姿はありませんでした。やはり無理かな、と思っていたら、マネージャーから電話がかかってきた。「大変ですよ、社長」と言うので、「病院に行ったの?」と聞くと、楽屋裏の駐車場に停めた車にいると言うんです。すぐに行ってみると、車の中で横たわって酸素を吸っている彼女がいました。すぐに病院に行くように言うと、彼女は「社長、歌わせて。ステージに上げて」と言うんです。
――それどころではないはずだ。
石田:そうですよね。でも僕は、葛城さんからいつも、「命がある以上、歌いたい」と聞かされていました。ですから、夜の部のコンサートを一部変更して、彼女のコーナーを作ったんです。僕がステージに上がり、「もしかすると彼女の命は(残り)数時間しかないかもしれない。驚くかもしれませんが、これが今の葛城ユキです」と紹介しました。
――車椅子はほぼ横倒しとなり、まるで介護ベッドに寝ているような状態だったという。
石田:もう歌える状況ではありませんでした。客席からの声援を受けて「ありがとうございます」と言うのが精一杯でした。
――これが亡くなる10日前である。
石田:でも翌18日に、葛城さんから電話があったんです。「昨日はありがとう! 元気出ました」と、本当に元気な声だったのでビックリしたんです。そして「社長にも、みんなにも、ご迷惑をお掛けしました」と言うから、「みんなわかってるから大丈夫」と伝えました。すると、「社長に恥をかかせてしまった。昨日はちゃんと歌えなかった。だから、次は……」と話していました。
――27日、石田社長に電話した後、彼女は帰らぬ人となった。
石田:「ステージの上で死にたい」と口にする人はたくさんいます。葛城さんはあの状態で、本当にそれを貫いた。最期までカッコ良かったと思います。
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