アイドルの「成長物語」、原点は伝説の番組「スター誕生!」だった 「完成品」より「下手な人」を選んだ阿久悠の先見性
歌のうまい人はいらない
「スター誕生!」以前にも、美空ひばり、島倉千代子、五月みどり、小林幸子、天童よしみ、上沼恵美子、野口五郎など、子ども時代にのど自慢大会で名を上げ、デビューへのきっかけを掴んだ者は少なくなかった。こうした“のど自慢荒らし”の少年少女は、レコード会社の目には新人の有望株と映っていたのだ。
しかし「スター誕生!」は一風変わっていた。歌のうまい応募者を合格させるという従来のコンテストの方針を採らなかったのである。阿久悠は、このように語っている。
「自分の世界で長く歌い、あるレベル以上の技術を身に付け、少々の自負と、人生の臭みを発散し、歌手というイメージを頭に持っている彼らに、この『スター誕生!』は不向きだった」
さらに、「下手を選びましょう。それと若さを」「いわゆる上手そうに思える完成品より、未熟でも、何か感じるところのあるひと、というのを選んでいた」とも語り、番組プロデューサーの池田文雄も「歌のうまい人はいらない、これからうまくなる人を捜してる」と表明していた。
「スター誕生!」から最初にデビューし、番組のコンセプトを真っ先に体現した少女が、1971(昭和46)年に出場した森昌子だった。当時13歳だった森は一定の歌唱力をもちながら、その後の成長や変身を予感させる要素を兼ね備え、しかも「どこにでもいる女の子という感じ」を見ている者に抱かせた。
大人顔負けの歌唱力と幼い顔のギャップ
以来、応募者は次第に低年齢化し、特に中学生の存在が目立つようになっていく。年長歌手はあまりヒットせず、話題をさらったのは桜田淳子、山口百恵、伊藤咲子、片平なぎさといった中学生出場者だった。
阿久悠は、テレビを意識した戦略について、次のような見解を示している。
「テレビ時代の天才少女が、ラジオ時代の天才少女と同じとは、どうしても思えなかった」
ラジオならば歌声だけを味わえばよい。しかしテレビの時代には、大人顔負けの歌唱力と幼い顔のギャップがお茶の間の視聴者から不自然に見えるだろう、と考えたのだ。
だからこそ「スター誕生!」は、美空ひばりのような「天才少女」ではなく、テレビのなかで違和感なく親しまれる、どこにでもいそうな身近な歌い手を求めた。森昌子のデビューの企画会議では「あなたのクラスメート」というキャッチフレーズが決定し、「家庭の親が見たとき“うちの子もあのような子に育てたい”というようなタレント」となることが目指された。
こうして、森昌子は1972(昭和47)年、阿久作詞の「せんせい」を歌ってデビューする。
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