“悪夢の民主党政権”の誕生は自民党の責任である 石破茂の「投票に行こう」

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 かつて選挙前に「有権者は寝てしまっててくれれば」と言ったとして、批判を浴びたのは首相時代の森喜朗氏だ。

 実際には「無党派層が寝てしまってくれればいいんだろうけど、そうはいかないんでしょうね」といった趣旨の、一種のボヤキのような発言だったのだが、いずれにしても投票率が低いほうが与党有利、という本音がつい漏れてしまったということだろう。

 一方、今回の参議院選挙を前に「有権者は絶対に寝ていてはいけない」と強く主張するのは石破茂元自民党幹事長である。

 なぜ私たちは投票に行くべきなのか。石破氏の考えを聞いてみた。

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政治への「どうでもいいや感」

 このところ、国民がますます政治に無関心になっているのではないかと感じています。

 私のブログへのコメント数も減りました――と言うと、「お前の人気が無いだけだ!」と突っ込まれそうですが、新聞の投書欄を見ていても、政治に関するものが減っていると感じます。長年、投書欄をウオッチしている私の実感です。

 政治に対する「どうでもいいや感」が進んでいる。

 そう感じる方は少なくないのではないでしょうか。

 では政治に無関心でいい状況かといえば、まったくそんなことはありません。新著『異論正論』の冒頭でも触れたように、現在は100年に1度の転換期にあると私は見ています。

 およそ100年前はどんな時代だったか。

 1914年に第1次世界大戦が勃発し、1917年にロシア革命が起きました。1918年からはスペイン風邪が大流行。1929年に世界恐慌が起き、1939年から第2次世界大戦が始まります。

 これらの出来事と、最近の出来事を重ね合わせてみると、似ている点が多い。パンデミックが起き、第3次世界大戦の危機も消えていません。また、資本主義の限界が指摘されて久しく、全体主義、民族主義が世界の各地で勢いを増しています。

 今のところ大恐慌こそ起きていませんが、日本で言えば円安がこのまま進むと、スタグフレーションを引き起こす可能性はあります。雇用や賃金が増えぬまま物価だけが上がるという、かなり厳しい状態のことです。

 このような状況下でもなお「日本は大丈夫。心配するな」式のことを言う方もいます。

 大丈夫ならば結構ですが、私は楽観すべきではないと考えています。

 国際情勢が不安定になっているのは、ウクライナ侵略を見ても明らかでしょう。今回は特に、国連のシステムの欠陥が浮き彫りになりました。

 普通に考えて、国内も国外も政治に関心を持たなくていい状況にはないのです。

政治の水準は国民が決める

「どうせ誰がやっても同じ。大差ない」

「どうせ自分が投票してもしなくても変わらない」

 そうした考えを持つ人が多くいることは投票率から見てもわかります。そのような気持ちを抱かせてしまった政治に大いに責任があることを、私も含めて政治家はまず反省しなければなりません。

 しかし一方で、国民こそが有権者であり、有権者として政治、政治家を作っていく責任があることを、あえて問いたいのです。

「自分たちが変えなければ、この国は大変なことになる」

 そのような意識を多くの国民が持っていなければ、国民主権で成り立っている国家を変えることはできません。投票は権利ですが、その権利を行使する義務がある、とすら私は考えています。

「投票率が低い方が自公政権にとっては有利なんだからいいじゃないか」

 そのように言う方もいらっしゃるかもしれません。13年前、なまじ有権者が「変えなければ」などと思った結果、「悪夢の民主党政権」が誕生したではないか、と。

 しかし、私は民主党政権を生んでしまったのも、当時の自民党だと思っています。私たちに問題があったから、政権を奪われる余地が生じてしまった。少なくとも私たち与党の政治家はそういう意識を持っていなければならない。

 かつて有権者に対して「寝ててくれればいい」と発言した方もいらっしゃいましたが、政治家がこれを言ってはおしまいではないか、と私は思います。

 有権者は寝ててはいけない。そうでなければ、政治は国民に正面から向き合う誠実さを失っていきます。

「誰に投票していいのかわからない。選挙区の政治家、どいつもロクなもんじゃない」

 こんな声も聞きます。しかしこれに対しては、「その中でもマシだと思う人に投票してください」と言うしかありません。個々の政策に対する難しい知識など、必要ありません。子供でも「おかしい」と思うようなことがあれば、それは変えていかなければいけない。

 そういう普通の人の感覚で判断していただきたいと思います。

街頭演説の名手は

 私は、政治家の基礎は街頭で培われると思っています。聴衆がゼロのようなところから始めて、少しずつ増やしていく。その過程で、国民に語りかける力が養われるのです。その意味では、選挙は街頭演説に多く触れる良い機会でしょう。

 ですから、その演説の能力を養っていくことが求められます。私も若い頃、本当に上手な大先輩、大先生の演説に触れることができました。

 田中角栄先生が聴衆を魅了する演説をしたというのは有名ですが、その角栄先生をして「泣かせて笑わせてその気にさせる」演説の名人だと言わしめたのが、ハマコーこと浜田幸一先生でした。

 渡辺美智雄先生は聞く人の心を掴むのがとても上手でした。行商人の経験があったとおっしゃっていましたので、それも生きていたのでしょう。

 平成では、小泉純一郎元首相の演説は一種の狂気を感じさせつつ、聴衆を引きつける力がありました。麻生太郎元首相も、笑いで和ませ核心に切り込むような、とても面白くて良い演説をなさいます。

 野党でいえば、ほぼ毎日街頭演説をやってきたといわれる野田佳彦元首相が抜群に上手です。あとは前原誠司さんもうまい。最近では、無所属で自民党相手に勝ってきた有志の会の人たちも上手だなと感じます。

 街頭できちんと聴衆の心を掴みながら30分話せることは政治家にとって非常に重要な能力だと思うのですが、残念ながらメディアはあまり興味を持ちません。ちなみに野田元首相は、国会でも良い質問をしていると思いますが、ニュースなどで取り上げられることは非常に少ないのではないでしょうか。政治家の語る力を重視しない傾向は残念に思います。

 ですから、投票に行っても行かなくても同じこと、と思っているのならば、大きな間違いです。今日明日に何かが激変することはないでしょうが、10年後、20年後に「あの時もっと日本を変えていれば」と後悔しても遅いのです。そして、明らかに今の日本はそういう岐路に立っています。

 どうか皆さんの権利をきちんと行使していただきたい、と思います。

デイリー新潮編集部

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