「手の込んだ料理を作らなくていい」 土井善晴が提案する「まずはご飯とみそ汁だけ」という食卓
台所に立つのはおっくうだけど、毎日外食では栄養も偏り財布の中身も心配になる。そんな悩める現代人に、料理研究家の土井善晴さんが提案するのは「一汁一菜」という生き方。心身ともに健康であるために、今日から実践できる簡単料理法も合わせて紹介してくれた。
***
家庭料理は今、危機的な状況にあります。その原因の一つが、食卓には“立派な料理”を並べないといけないという思い込み。それが台所に立とうとする人々の意欲をそいでいるのではないか。そう思うのです。
書籍をはじめ雑誌やインターネットには、大量のレシピが掲載されています。その多くは、「自宅でもレストランのようなご馳走を再現できる」ことを売りにしていて、コロナ禍で自炊が見直されたこともあってか、さまざまなメディアから流される情報の氾濫はとどまるところを知りません。
そもそも私が疑問に思っていたのは、常に時間に追われている現代人が、お店で出されるような手の込んだ料理を作ることは、はたして可能なのかということでした。
「料理はみそ汁とご飯だけでいい」
この長年の問いに答えを明確に出し、早く本にまとめて伝えねばと動くきっかけとなったのは、2015年から始めている私の勉強会での一幕でした。「大人の食育」という講座を開いた際、これから結婚するカップルや若いお母さんらが集ってくれたのですが、よくよく話を聞くと、皆が口をそろえて“自分の子供を手料理で育てたいけど、どうしていいかわからない”と言うのです。
食の多様化で家庭料理のハードルは上がり、家族からもプロ並みの食事を要求され、テーブルに出さないといけない。そんなプレッシャーが台所に立つ人々を苦しめていることを知った私は、その若者たちに「料理はみそ汁とご飯だけでいいのです」と話しました。
これが私の提唱してきた「一汁一菜」の原点となりました。戦後、欧米の栄養学における主菜1品、副菜2品の理論を和食に普及させるため編み出された「一汁三菜」という言葉を意識した私なりの表現です。
たまに食べるから「ご馳走」
もともと和食にはメインディッシュという概念はなかったのですが、一汁三菜という考えがどんどん広まるにつれ、家庭料理に肉や魚を主菜として取り入れることが増えていきます。
とはいえ、忙しい日でも外食で供されるようなハンバーグを毎回作るのはとても無理な話だと思います。そのような「ご馳走」は、時折食べるからこそ「ご馳走」であって、毎日食べたら飽きてしまうでしょう。
一汁一菜のコンセプトは、とにかくご飯を炊き、具のたくさん入ったみそ汁さえ作れば食事になるというシンプルなものです。
これなら仕事から家に帰ってきても簡単に用意ができ、継続しやすい。独り暮らしの方や共働きのご家族はもちろんのこと、小学生からご高齢の方、普段は料理と縁遠いような男性でも実践しやすいと思います。
栄養価が高くダイエットにも
簡単な設備さえあれば、一汁一菜はどこでも作れます。被災地に伝えるために、カセットコンロにかけた中鍋で、10人分のみそ汁を作る映像を録画したことがあります。温かいみそ汁に、粉を練ってすいとんに仕立てれば、お腹もふくれて温まる。自分の健康を守る“武器”となる一汁一菜は、老若男女の誰をも救うのです。
具沢山のみそ汁は、それだけで十分におかずの一品を兼ねますから栄養価もバツグンです。一日三食、毎日一汁一菜でもよくて、ダイエットにもなります。後から健康もついてくるのでいいこと尽くしなのです。
もちろん家族構成や年齢、日々の体調など、そのときどきに食べるべきもの、食べたいものは違うでしょうから、一汁一菜を土台にして、その都度、何かをプラスするという柔軟な考え方を持って実践してもらえればと思います。
みそ汁のすごみ
こうした話をすると、ご馳走を作らないといけないとストレスを抱えていた人たちが、一様に安堵した表情を浮かべます。それでも中には「どんなみそ汁を作ればいいかわからない」と嘆く人もいますが、答えは簡単。鍋に入れる具材は何でもいいのです。
なにも、豆腐やワカメ、大根、油揚げといったお決まりの食材にこだわる必要は一切ありません。トマトやピーマン、ある時はソーセージなど、冷蔵庫に眠っている残り物の野菜や、前の日の晩に作って余った唐揚げなんかを入れたっていいじゃないですか。
そう話すと「そんなものを具にしていいんですか」と聞く人もいますが、みそ汁に入れてはいけないものなんて決まりはありません。その懐の深さ、万能性こそがみそ汁のすごみなのです。
具沢山のみそ汁は必ずしも「だし汁」を用意しなくても大丈夫です。自然とそれぞれの具からうま味(水溶液)が出るので、それだけで十分なんです。味付けがみそだけだからこそ、椀の中にある具の味をシンプルに楽しむことができる。なにしろ「みそと食材におまかせ」でいいので、まずくなりようがないのです。
大切なのは、一汁一菜には、いいおみそを使ってほしいということでしょうか。いいおみそとは、きちんと発酵し、昔ながらの製法でよく熟されたもの。
季節感や地域の食材を楽しむ
一汁一菜の利点は他にもあります。一汁一菜を基本にした変化の少ない単調な暮らしをしていると、身の回りの微妙な変化にも気付けるようになります。
家庭で季節感を味わうにも、みそ汁は打ってつけです。春ならセリや三つ葉、新竹の子などを具にするだけで上等なみそ汁に仕上がります。夏なら柔らかく煮た冬瓜(とうがん)、焼いた鯵(あじ)を水煮して、赤だしにすれば洒落たものになります。秋は里芋を別鍋で皮ごとゆでておき、皮をむいてつぶしてからみそ汁に入れると美味。冬にはゴボウやニンジンなどの根菜を笹掻(ささが)きにして、たっぷり入れると最高においしい。豚汁にすればボリュームも満点です。
どこまでも自由な一汁一菜の楽しみ方は、繊細さを重んじる日本料理の本質にも通じるもので、食育にも効果的です。皆さんの住む地域の地物野菜などをふんだんに使えば、おいしく土地の味を知るきっかけになること間違いなし。沖縄の定食屋さんでは、具沢山のみそ汁がメインのおかずとして供されますが、まさにその感性を見習うべきだと思っています。
食べたいものを食べる日も大切
そうやって家庭料理を作り、食べる習慣を身に付けたら、今度は時折、新たに一品添えてみるといった感じで、自分のペースでアレンジを加えてみてください。ちょっと晩酌を嗜(たしな)みたければ、ご飯とお酒を入れ替えて、香の物などを添える。それだけでも十分、素敵な時間を過ごせると思いますし、給料日で余裕があれば、お刺身など「ハレ」の日の食材を加えてみてもいいじゃないですか。
外食に出かけても、一汁一菜の考えに慣れ親しめば、ご馳走の味も繊細に堪能できるようになり、これまで以上の満足感を得られるかもしれません。私も時にはラーメンをすすることだってあります。最近では年齢のせいか後悔することも多くなりましたが、「食べたいものを口にする」という気楽な日を設けるのも大切なことだと思います。
一汁一菜に至るまでには、私の人生におけるさまざまな経験が反映されており、その仔細は、このたび上梓した『一汁一菜でよいと至るまで』(新潮新書)に詳しく書かせていただきました。
執筆にあたり、私自身のこれまでを振り返って気付いたのは、食を巡る状況が大きく様変わりしたということでしょうか。
生活習慣病、アレルギーが急増
奇しくも私は1957年、日本の家庭料理に大きな影響を与えたNHKのテレビ番組「きょうの料理」が始まった年に生まれました。この番組に出演し「おふくろの味」という言葉を生み出した料理研究家・土井勝は私の父ですが、その当時は、ようやく西洋料理や中華料理が家庭にも普及し始めた頃で、多くの料理にレシピが存在しませんでした。父はそれらを一つずつ、誰でも作れるように手ほどきしていきました。
私が子供の頃は「黙食」が当たり前。静かに料理と向き合い、繊細な味や旬を感じ取ることが美徳であるとされていました。「米粒一つ残さない」のも当たり前で、調理する側も食べる側も、とことん食材を大切にしていました。
ところが、昭和、平成、令和と時代が進むにつれて、我々の食事のスタイルは欧米化し、そういった古き良き日本ならではの食文化は失われていく一方です。外食の他にも「中食(なかしょく)」や、「ウーバーイーツ」などのフードデリバリーサービスが当たり前となり、家庭料理の存在感は日増しに薄くなってしまっています。
それと呼応するかのように、世の中にはストレスがまん延し、多くの人たちが心を病んでいますし、メタボなどによる生活習慣病や、食品アレルギーに悩まされる方も急増しています。
このような状況を何とかしたい一心で、そして自分たちの世代が日本料理という食文化の最後の継承者であるという自負のもと、私は家庭料理を軸に先人の知恵や技術を伝える取り組みに精を出してきました。
心身を「調える」
コロナ禍で免疫力の向上が叫ばれる昨今、一汁一菜の考えをベースに家での食事を続けてもらえれば、健康長寿にも大いに貢献してくれると私は信じています。
心身に不調をきたしている方が多くなっている今こそ、改めて一汁一菜に目を向けてみてはどうでしょうか。サウナブームで「ととのう」という言葉が注目を浴びましたが、自らの手で食事を作ることは、日々の暮らしにリズムを生み、心身を「調(ととの)える」ことにつながり、人間として自立できます。
さまざまな情報が飛び交う時代にあっては、自立していなければ常に他人の言うことばかりを聞く人間になってしまいます。自分のことは自分で決める。一汁一菜を実践することは、自らの人生を築く上でも最高のきっかけになってくれるのではないでしょうか。