リハビリ事業に進出した出版社の思想と実践――青山 智(三輪書店代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
0歳から亡くなるまで
佐藤 軌道に乗るまでどのくらいかかりましたか。
青山 最初からうまくいきましたね。まずリハビリテーションを受け入れやすい地域から始めたんですよ。介護ならお世話をされるだけですが、リハビリテーションは自分で努力しなければなりません。だから「努力できる人」が多く住んでいる場所から始めればうまくいくと考えた。
佐藤 それはどこなのですか。
青山 私の地元でもあるのですが、東京の三鷹・武蔵野地区です。ここには会社で要職に就いていたり、学校の先生だった人が多い。始めてみたらすごかったですよ。一言にリハビリと言いますが、基本動作の回復を行う理学療法士、日常生活に必要な動作を訓練させる作業療法士、それから言語・聴覚に関係する動きをサポートする言語聴覚士と三つあります。それを使い分けて依頼してくるケアマネージャーさんは、そんなに多くないんですね。
佐藤 その地域は違った。
青山 「PT(理学療法士)さんが来てROM(関節可動域訓練)だけやっても困るのよ、日常を取り戻したいので、OT(作業療法士)さんに入ってほしい」とか、「嚥下(えんげ)障害や失語症のためにST(言語聴覚士)に入ってほしい」などという依頼が来るので驚きました。
佐藤 グループはどのように大きくしていったのですか。
青山 私自身には大した見識がないので、経営にもビジョンはない。ただ、社員たちからやりたいことが出てくるんですね。社内ベンチャーではありませんが、彼らのやりたいことを実現させるようにしたら、大きくなっていた。例えば、社員が子育てのために妻の実家がある山形に帰ると言うんですね。でも仕事は辞めたくないと。それなら、ということで山形営業所を作った。そういう形で青森にも鹿児島にも営業所ができていったんですよ。
佐藤 利用者のほとんどは高齢者ですか。
青山 最初は介護保険の高齢者を中心にするのが事業として一番やりやすい。でも私は子供をやりたかったんですね。子供のリハビリテーション施設はまったく足りていないし、大変なので専門家も少ない。熱心な先生が一人いると、その周りに一家で引っ越してくるくらいです。
佐藤 小児精神科医も非常に少なく、病院は2年待ちといいますね。
青山 もともと日本のリハビリテーションは、子供を支えることが柱の一つでした。それは脳性まひの子供を中心に行われ、そこだけ施設化が進んだんです。でも公立施設が多いので、療法士は長くそこに勤めます。だから人の流動性が少なく、専門家が増えない。学校でも実習を必修から外すなど、現場で学ぶことがなくなっていったんですよ。
佐藤 構造的な原因がある。
青山 それで縮小の悪循環に入ってしまったのですが、日本の周産期医療は世界で一番ですから、早産で障害を持って生まれた子供も助かる確率が高い。だから子供のリハビリテーションは絶対に必要なんです。
佐藤 子供に特化した訪問看護ステーションもあるのですか。
青山 介護保険法で位置付けられている関係で、利用者に制限をかけることはできません。でも、事業所名に「キッズ」を入れたところが2カ所あります。いま全体で千数百人のお子さんにサービスを提供していますが、これほど大掛かりにやっているのはウチだけだと思います。
佐藤 子供の人生はリハビリのチャンスがあるかないかで、大きく変わるでしょうね。
青山 その通りです。リハビリテーションに触れることで自分の可能性を感じ、また親や周りの人も期待するようになる。それによって子供の人生は大きく拓けていきます。私どものポリシーは「0歳から亡くなるまで」です。障害のある子供はそれを抱えて成長していきますし、障害がなく生まれた人も、何かの拍子にリハビリテーションが必要になることがある。そうした人たちのために、私どもはワンストップ(1カ所)で、生涯にわたってサービスできる会社になりたいですね。
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