リハビリ事業に進出した出版社の思想と実践――青山 智(三輪書店代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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デジタルか、リハビリか

佐藤 MBOを行ったのはいつですか。

青山 2005年です。でもいざ自分の会社として運営することになったら、脚に骨腫瘍ができましてね。私は登山をしますが、山でどうしてもペースが上がらないので、診てもらった。最初に掛かった医者は大したことはないという診断でしたが、普通の道も歩けなくなって、MRIを撮った。そうしたら腫瘍が見つかったんですよ。悪性腫瘍なら生存率20%、よくても足切断だな、と覚悟しました。でも、幸いにもそうではなかった。結局、ボーンバンクから他人の骨をもらって、骨を埋め込む骨置換手術をしました。

佐藤 それだって大変な手術です。かなり痛いと聞きますけれども。

青山 痛いのは痛いのですが、脚の関節だったので、松葉杖生活になってしまった。しかもその翌年に再発して同じ手術を行い、その1年後にも再発したんです。だから大きな借金を背負って会社を一刻も早く立て直さなければならない時期に、ずっと自由に動けない状態が続いた。

佐藤 リハビリが人ごとじゃなくなったのですね。

青山 ええ、差し迫った自分の問題になりましたね。

佐藤 リハビリテーション事業への進出は、いつ頃からお考えになっていたのですか。

青山 社長になった時からです。ご存知の通り、出版業界は1990年代半ばから売り上げが減少に次ぐ減少で、先行きが見通せなくなっていました。それに加えて私どもの場合、雑誌の療法士の求人広告がどんどん減っていった。1ページ三十数万円で十数ページもありましたから、大きな収入源でした。このままだと、紙の雑誌や書籍の文化はあっという間に潰れてしまうと思いましたね。

佐藤 求人広告が減ったのもネットの影響でしょうね。

青山 そこで考えたのは、やはりデジタルコンテンツ業者になるしかない、ということでした。紙へのこだわりを捨て、自分たちでウェブ事業を興そうとした。社内外でいろいろな人に相談したら、楽しいアイデアがたくさん出てきました。雑誌や書籍をデジタルにするだけでなく、リハビリテーション人材の養成をウェブでやるとか、ですね。ただ、初期投資が8億円以上かかり、維持費も年間1億8千万円くらい必要だったんです。社内に専門家がいませんから、外部委託しなければならず、それだとコントロールが難しい。だから、これはウチの規模の会社が先行してやるべきことじゃないなという結論に至った。

佐藤 出版事業の延長でデジタル事業を展開するのは限界があります。

青山 そうすると、自分たちが一番よく知っているリハビリテーションの事業に出ていくしかない。実はこの事業を1998年に創業者が一度立ち上げているんです。でも1年で撤退し、3千万円ほどの負債が残った。ただ、その過程を全部見ていましたし、当時の会議録も残っていたので、どうやればいいのか、イメージができたんですね。また、介護保険制度が生まれて、民間業者も保険を扱えるようになっていました。

佐藤 当時の失敗の要因はどこにあったのですか。

青山 会議録には、資格のある専門職の方々を非専門職が雇って事業をすることの難しさがたくさん出てくるんですよ。私たちも知識はかなり豊富ですが、現場には現場の感覚があって、それはわからない。だから頭でっかちのマネジメントになり、全体を統制できなくなったんです。

佐藤 確かに外交評論の仕事でも、実務経験のない人の話は、ズレて聞こえます。使う言葉も感覚も踏み込み方も違いますから。

青山 ですから自分たちで直接マネジメントしようとすると、あつれきが生じる。それなら専門職の方に統治を委任委託して、その人との関係をきちんと作る形にすればいい。

佐藤 間接統治ですね。

青山 社長がカリスマだと、自分でやりたくなります。遠隔で、間接的に動かしていくということに耐えられない。その点、私は非才ですから、人を通じて実現できればいい、くらいの「緩い経営」ができるんです。

佐藤 それで東京リハビリテーションサービスという子会社ができたわけですね。

青山 会社の借金を5年ほどで返し、新事業に投資できる環境ができたところで始めました。

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