「僕は不倫されても当然なのか」 幸せな結婚生活を暗転させた、年上再婚妻のあり得ない一言
「おかしい」と矩之さんは言うけれど
彼は妻を愛しているから自由に生きてほしかったのに、妻はそれを無関心と受け止めていたのかもしれない。新婚なのにすでに子どもがいる状況で、ふたりだけの愛の土台を育むことができなかったのだろうか。子どもたちとのつながりが強く、仲のいい夫婦のはずだったのに。
その後のコロナ禍で、矩之さんはリモートワークが増え、希実さんも一時期は自宅待機を余儀なくされた。その間、「今、争ってもしかたがないとお互いに思っていたのか」、特に不倫を話題にすることはなかった。
そして今はふたりとも職場に出かける日々だが、やはり何も話していないまま。それでも日常生活は続いている。モヤモヤしたものを抱えているのに、まるで何もなかったかのようにテレビを観ながら話す。
「こんなのおかしいとわかっているんですが、何をどうしたらいいかわからないんです。希実はさすがにあの男とは別れたみたいだし、ホストクラブ通いもしていない。今さら責めてどうなるものでもないし、むしろこれからどうやって僕たちふたりが過ごしていくのかを話したい。ふたりとも、不倫に触れないでいるうちに、それなりにバランスがとれてしまった」
こうなったらしばらくこのままで生活していくしかないと矩之さんは思っている。妻を憎む気持ちはない。むしろ妻を追い込んだ自分がいけなかったとさえ感じているようだ。
「つい先日、希実が、温泉にでも行きたいなあとつぶやいたんです。行こうかと言ったら、『いろいろ、ごめんね』って。初めて謝られたけど、やっぱり謝罪はいらないと思いました。やっぱり僕がおかしいんですかね」
おかしいわけではないだろう。愛情のかけかた、受け取り方は人によって違う。彼は希実さんの子だからこそ、ふたりの娘たちにすべての愛情を注いだ。その結果、妻が望む愛情の形が見えなくなってしまったのかもしれない。独占欲をよしとしなかったことが誤解を生んだ可能性もある。そしてもともと、彼には怒りの遺伝子が少なかった。さまざまな要素が入り交じって、こういう関係になったのだろう。
それでもお互いに離婚する意志はないようだ。
「娘たちが帰ってきたとき、居場所がなかったらかわいそうですから」
いずれ老いれば、こんな話も過去のこととしてほぼ忘れてしまうのではないか。傷ついていないわけはないのだが、彼は愚痴ひとつこぼさず、そんなふうに話を締めくくった。
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矩之さんは娘たちとの「幸せな暮らし」を第一に考えていたが、希実さんの「女として見てくれたなかった」という言葉からは、彼女はそれだけではない「ときめき」のようなものも生活に求めていたようだ。そこに二人のすれ違いがあったのかもしれない。
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