「僕は不倫されても当然なのか」 幸せな結婚生活を暗転させた、年上再婚妻のあり得ない一言

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「最愛の子どもたち」との暮らし

 家族用の借り上げマンションで新生活をスタートさせた。長女が学校になじめなかったり、次女が活発すぎて友だちと大げんかしたりと、さまざまなことがあった。矩之さんが本気で怒り、ぶつかったことも何度もある。それでも、彼はいつでも「最愛の子どもたち」と公言してきた。子どもたちも、誰より自分たちのことを考えてくれているとわかっていたようだ。

 一緒に生活するようになって3年目にはマイホームも手に入れた。ケンカしたり仲直りしたりしながら家族の絆は強まっていくのを実感したという。子どもたちはふたりとも大病もせず大学へと進学した。

「長女は就職して、今は他県の営業所にいます。次女は大学卒業後、どうしてもやりたいことがあると、遠方の大学院に進みました。僕たちの結婚記念日前後には必ず帰ってきてくれるし、誕生日にはプレゼントをくれる。優しい子どもたちです」

 それはもちろん、彼と希実さんが一致団結してがんばってきた証でもある。一緒に暮らすようになってから、希実さんは子どもたちの様子を見ながら常に仕事を続けてきた。彼女は歯科衛生士の資格をもっていたのだ。ただ、離婚して実家に戻ったときは地元に仕事がなく、資格を生かすことができなかった。

「ふたりで働いて、ふたりで子育てをし、ふたりで仲良く家庭を築いてきた。そういう自負がありました。子どもたちが大きくなると、週末はよくふたりで映画を観に行ったり、彼女の好きな絵を観に行ったり。昔から絵が好きだったと言って数年前から習い始めた。 ふたりでできること、自分の趣味、どちらも大事だよねと彼女は言って、本当に生き生きとしていました。『友だちと飲みに行ってもいいかな』というので、もちろんと送り出すことも多々あった。いろいろ苦労しながら今があるんだから、楽しまないと、と。一方で僕はあまり友だちも多くないし、無趣味だから、希実にはいつも『あなたも何か楽しいことを見つけて』と言われていたんです」

 次女が遠方の大学院に出発したその晩、希実さんは矩之さんに頭を下げた。「あなたのおかげで子どもたちが大学に行けた。感謝してる」と。矩之さんは「水くさい」と感じたが、希実さんは「実の子でもないのに、実の子以上に愛してくれた。あなたの器の大きさに頭が下がる」と涙ぐみながら言った。

「希実の子は僕の子だよと言いました。養子縁組をして、僕の姓を名乗ってくれている子どもたちには、こちらこそ感謝している。希実や子どもたちのおかげで、僕は寂しい人生を送らずにすんだ」

 20代のころは結婚に多くを期待していなかった矩之さんだが、希実さんと結婚することになってから、自分でも意外なほど馬力が出たと言う。背負うものが重ければ重いほど、がんばれるタイプなのだと新たな発見もあった。

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