ファイティング原田が78歳で再会したライバル リモート会談でジャブを打ち続けた理由は?(小林信也)
相手は47勝無敗
バンタム級は群雄割拠。国内外に強敵がひしめいていた。王座に君臨するのは8連続KO防衛を続けるジョフレ(ブラジル)。
メキシコには「ロープ際の魔術師」と異名を取るジョー・メデルがいる。国内には、東洋王者の青木勝利、原田が「天才」と形容する海老原博幸がいた。ジョフレに挑戦するには、彼らを倒さねばならなかった。
63年9月、原田は世界3位のメデルと対戦した。この試合でも序盤からラッシュ戦法で圧倒。しかし6回、異名どおりロープを背にしてのカウンターから反撃を許し、原田は3度ダウンしたところで止められた。
当時日本でボクシングは特別な人気を誇っていた。週に何度もテレビ中継があった。私は小学生だったが、マンガ雑誌の活字ページで「ロープ際の魔術師」の伝説を読んで震えた記憶がある。その魔術師メデルでさえ翻弄され、KOで敗れた相手が王者ジョフレだった。強打の上に防御が固く、完璧なボクサーだと恐れられていた。
青木に勝って挑戦権を得た原田は65年5月18日、愛知県体育館で王者に挑んだ。ジョフレは47勝無敗3分、この試合まで17連続KO勝ち。原田は38勝3敗。石井が振り返る。
「父が白井さんの友だちだった縁で、ボクシングを熱心に見るようになりました。ジョフレとの試合前、私は父に『原田は勝てるか』と聞きました。すると父は少し考えてから言いました。
『原田は、最後まで立っていられないだろうな』
恐らく大方の予想はジョフレが9.5、原田さんは0.5くらいだったでしょう」
しかし原田はまたも大健闘を見せる。壮絶な攻防。ジョフレの強打を浴びながら、最後まで倒れなかった。
「15回を戦い抜いただけで原田さんは務めを果たしたと思いました。勝利者のコールまでついてくるとは思いませんでした」
レフェリーは原田の右手を上げた。すぐ次の瞬間、リング中央で、敗れたジョフレが原田を抱え上げ、その勝利を称えた。
「ジョフレは素晴らしい人物でした」
原田はその感激をずっと大切に抱き続けている。
ジョフレは生涯で2度しか負けていない。その2度がいずれも原田だ。どうしても原田を倒したい、その願いがかなわぬまま引退、50年以上の歳月が流れた。
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