ファイティング原田が78歳で再会したライバル リモート会談でジャブを打ち続けた理由は?(小林信也)
「エデル・ジョフレとファイティング原田をロサンゼルスで再会させたい。原田を連れて来られないか」
石井彰英がアメリカの「西海岸ボクシング殿堂」から依頼を受けたのは2021年3月。クリストファー・J・スミスが“ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)”と謳われた伝説の王者ジョフレの評伝を書いた。それを祝う会で、永遠のライバル原田との再会を実現させたいという。石井が伝えると、原田はすぐ「行きたい」と声を上げた。
再会の構想が発表されると、「300ドルのパーティー・チケットが1時間半で売り切れた」という。石井は西海岸ボクシング殿堂の国際ディレクターで、世界的なボクサーたちやその家族と親交がある。
「ジョフレの家族からも、本当に会えるのかと連絡が来ました。原田さんはそれくらい愛されている。会いたい、一緒に写真を撮りたい、そういう存在なのです」
原田は1962年10月、世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)を破り、白井義男以来日本人2人目の世界チャンピオンになった。本当は挑戦するはずだった矢尾板貞雄が突如引退、急遽代役に抜擢されたのが19歳の原田だった。デビューから25連勝を飾った期待の星。だがまだ世界ランクにも入っていない。6月にはメキシコ人選手に負けている。世界を取るには実力も経験も足りないと周囲の誰もが不安視していた。
ところが、1ラウンド開始のゴングとともに飛び出した原田は徹底したラッシュ戦法で主導権を握った。ポーンに反撃されても怯まず、驚異的な連打でついに11回、ポーンをノックアウトした。予想を超えた大番狂わせに日本中が熱狂した。
だがこれは伝説の序章にすぎない。原田が世界的な尊敬を得たのは、タイでポーンとの防衛戦に敗れ、階級をひとつ上げた後だ。
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