パパ活で離党「吉川赴議員」の実父にも冷たい視線 自分の夢を息子に託した過ち
“パパ活”問題が有権者から厳しく批判されているにもかかわらず、吉川赳・衆議院議員(40)が議員辞職をする気配はない。現時点では自民党の離党にとどまっている。
***
【写真】県議時代の吉川雄二氏。地元では父親が息子に辞任を迫るべきだと言う声も出ているという
静岡朝日テレビの報道(註1)によると、秘書と連絡は取っているようだが、“雲隠れ”状態のようだ。
ここまで吉川議員が追い詰められたのは、「週刊ポスト」(6月24日号)の報道が発端だった。
同誌の目次に掲載されたタイトルは、「岸田派ホープ・吉川赳衆院議員と“おさげ髪18歳”のパパ活『飲酒』現場」。担当記者が言う。
「記事によると、吉川議員は夕刻、都内の高級焼き肉店で女性と会食。ポスト側は吉川議員の《俺、18歳に興味あるわ》という発言を聞き取っています。食事を終え、高級ホテルに移動すると、ホテルの部屋に1時間半ほど滞在した、とも書かれています」
ポストは女性に取材。18歳の大学生だと確認すると、女性は《4万円のお小遣い》をもらったこと、《ベッドで服を脱がされ》るなどの被害を受けたことを明かした。
代議士を「選良」と呼ぶ。「選ばれた、優れた人」という意味だが、吉川議員を「選良」だと思う人は誰もいないだろう。
「侵略戦争ではない」
「公式サイトには、大東文化大の法学部から日本大学の大学院に進み、宮沢洋一・衆院議員の事務所で働いた、などの略歴が掲載されていました。ただ、これだけ吉川議員への注目が集まっているにもかかわらず、彼の父親が静岡県の大物県議だったことは、意外に知られていないようです」(同・記者)
ここで、とある新聞記事をご紹介したい。1994年7月2日、朝日新聞が静岡県版に掲載した「『中国大陸への武力行使、侵略戦争といえない』 民社党系議員」だ。
《県議会代表質問で明政会(民社党系)の吉川雄二氏が、歴史教育の基本的な考え方を県にただす中で、日中戦争や東京裁判について自らの戦争史観を展開。「先の大戦は帝国主義という歴史の必然の中、避けられないものだった」とし、細川護煕元首相以降、閣僚がアジア諸国に対し、侵略戦争への「謝罪」を口にする風潮を批判した》
この《吉川雄二氏》が、吉川議員の父親なのだ。静岡県内の政界関係者が言う。
「吉川氏は1991年1月、静岡県議選の出馬を表明しました。当時39歳でしたから、1951年か1952年生まれになります。当時の新聞記事を見ると、明治大学を卒業後、地元で学習塾を経営。その後、幼稚園や老人ホームの運営にも乗り出し、多角化経営に成功しました」
[1/3ページ]