降雨ノーゲームで消えた“ホームラン伝説” “幻の2本”で本塁打王を逃した日ハム“助っ人”も

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「世界の王」は危機一髪

 逆に幸運だったのが、王貞治(巨人)。22年間の現役生活で1本も雨に流れることなく、NPB歴代トップの通算868本塁打を記録したが、唯一危うかったのが、65年6月29日の広島戦で放った通算188号目だった。

 5回に柴田勲の満塁弾で逆転した巨人は4対1の6回、先頭の王が佐々木勝利から右越えに18号ソロを放ったが、直後雨が激しくなり、コールドゲームになった。

 以前のルールなら、4対1の5回コールドで試合が成立し、王の一発は幻と消えるところだった。

 だが、5年前に同点や逆転など、試合の大勢に影響しない得点はそのまま認められるルールに変更されていたことから、6回途中打ち切りにもかかわらず、王のシーズン18号は記録されることになった。

 一方、同じルールながら不運に泣いたのが、阪急時代の簑田浩二だった。84年7月19日の西武戦、簑田は1対1の7回に渡辺久信から20号ソロを放ち、2対1と勝ち越した。

 ところが、直後に雨が降り出し、その裏の西武攻撃中にコールドゲームになったことから、6回コールドの1対1の引き分けとなり、7回の得点はなかったことにされた。

 骨折り損のくたびれ儲けに終わった簑田は「何で本塁打が消えるの? しょうもないルールや。さみし過ぎるよ。ああ、疲れた」とボヤキが止まらなかった。

 ちなみに、この試合で阪急が2対1で勝っていれば、簑田はリーグ初の「同一カード、3連戦勝利打点」という快挙も達成していただけに、さぞかし無情の雨を恨んだことだろう。

「1本くらい損しても何ともないよ」

 王に次いで歴代2位の通算657本塁打を記録した野村克也も、652本まで雨に流れることはなかった。だが、西武時代の79年9月4日の南海戦で、2回に勝ち越しソロを放ちながら、台風12号接近の影響による降雨で4回途中ノーゲームとなり、プロ26年目で“初の幻弾”を体験する羽目になった。

「もう700本は無理だし、1本くらい損しても何ともないよ」と達観していた野村だが、この日はチームメイトの立花義家、田淵幸一の本塁打も雨に流れ、3人揃って初体験という皮肉な結果に……。11年目で初めて幻弾を味わった田淵も「本塁打王を競っていれば、悔しくて夜も眠れないかもしれないが、今は1本ぐらい流れたのがあってもいいかな」と苦笑いだった。

 西武は、85年9月19日ロッテ戦でも、1回表に石毛宏典のソロ、大田卓司の2ラン、広橋公寿の3ランで6点を先制しながら、2回のロッテ攻撃中に降雨ノーゲームとなり、またもや3本塁打が幻と消えている。

 現在も12球団中6球団が屋根のない球場を本拠地としているので、雨の日に本塁打を打った選手は、5回を過ぎるまで内心祈るような心境だろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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