ペットボトルを持っているだけで批判の対象に 利害が絡む「SDGs」というゲーム(古市憲寿)

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 ワシントンD.C.に移住した友人からこんな話を聞いた。ある女性同士のカジュアルな集まりでのことだ。参加者は経営者の妻が多い。「専業主婦」に風当たりが強い国なので、肩書きとしてはNPOや財団の運営者を名乗り、日々チャリティー活動に精を出す人々だ。

 その中の一人が、集まりに遅れてきた。手に持っていたのはペットボトル飲料。全員の視線が集中する。そのことに気が付いたのか、彼女は「今日はとにかく時間がなかったの」と必死に言い訳を始めた。

 意識が高いそのコミュニティーでは、もはやペットボトルがタブーになりつつあるというのだ。地球環境に配慮して水筒などを使わないと、白い目で見られる。

 せっかく便利になった社会を後退させるような社会規範の登場に驚いてしまうが、日本も同じようになるのだろうか。事実、レジ袋の有料化のみならず、プラスチック新法が施行され、生活は不便になる一方だ。

 環境省が背景として説明するのは、「海洋プラスチックごみ問題」「気候変動問題」などへの対応。嬉しそうにSDGsバッジをつけている人の多さからして、小手先の「やった感」が好きな人は多いのだろう。地球を守るという大義名分に逆らうのは難しい。

 だが、水筒を使ったり、SDGsバッジをつけたくらいで、環境は容易に改善するわけではない。本気で二酸化炭素削減を目指すならば、原子力発電所の再稼働と新設を進めればいいように思う。事実、脱炭素に舵を切ったヨーロッパでは、石炭火力発電の廃止と原子力発電の拡充を目指す。

 だがチェルノブイリ(チョルノービリ)や福島のような事故が起こった場合、国土は汚染され、甚大な影響がもたらされる。それも一種の環境破壊といえるだろう。太陽光発電や風力発電も電源設備が乱立すれば、同様に環境破壊になる。

 このように「地球や環境を守る」といった美辞麗句や「環境破壊」という脅し文句は、相互に矛盾するような社会政策さえも正当化する。賢い人は、それを利益誘導に使う。心優しい人が、その音頭に乗せられる。

 現在、環境やエネルギーに関して起こっているのは、世界を巻き込んだ新しいゲームと考えれば理解しやすい。水筒を使うことが、どれほど気候変動に寄与するかはわからない。人類にとって、温暖化が寒冷化と比べてどれほどの脅威かもわからない。少なくとも温暖化の影響には地域差がある。

 だがゲームが始まり、ルールが定められてしまった以上、それに反する人には冷ややかな目が向けられ、ペナルティーが科される。

 ゲームチェンジは歴史上、何度も起こってきたことだ。旧ゲームと新ゲーム、どちらがいいゲームかは別として、古いルールで不利だった人は、新しいゲームを歓迎する。古いルールで勝ち上がってきた人は、新しいゲームに抵抗する。

 正義の名の下で行われるゲームの変更にも、利害は絡んでいる。おごれる者は久しからず。SDGsバッジの次は何が流行するだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年6月16日号掲載

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