56年前の「自白」音声テープを供述心理学の第一人者が読み解く【袴田事件と世界一の姉】

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調書の順番を入れ替える

――なぜか袴田さんが自白に落ちた瞬間の音声が残っていませんね。

浜田:9月6日午前10時10分に自白したことになっている。後に公判で巡査部長(松本義男)が「こぶしを作って顔を上げてぽろぽろと涙を流して、申し訳ありません。私がやりましたと言った」と証言しているが、録音にはその場面がない。すぐに署にいた松本警部が呼ばれて彼が調べて2通の自白調書を取ったというが、その音もない。その日の録音は、2通の自白調書作成後、11時4分から。そこで松本は作成した自白調書の内容を取り上げて、凶器とされたクリ小刀について「(奥さんが)そんなものよこすわけねえもん」などと追及するが、袴田さんは答えない。松本は「刃物を買ってきたなら『買ってきた』でええじゃない」と言う。すでに捜査陣は製造元から沼津市の販売店を割り出し、ここで購入していたのではないかと考えていた。

 こんな場面もある。「な、よくその甚吉触ったこと思い出してみ。お前さん、な。甚吉触ったことを思い出す。な」

 しかし、袴田さんは甚吉袋そのものを知らない。取調官は法廷で、この日、昼食を食べさせたと証言したが、嘘で房に戻さず調べを続けていた。留置場の出入り簿も偽造されていたことも録音から判明する。調書はこの日に6通作られたが、午後から3通作った岩本は順番を入れ替えて裁判所に出していることが録音でわかる。実際は、最初の2通の自白調書の矛盾を追及してクリ小刀の入手方法を訂正し、金の隠し場所の話を調書に取った後、午後3時頃から動機から始まる全体の流れを長文の調書に取っているのだが、それでは不自然。そこで順番を逆にし、まるで真犯人が犯行の全体を語ってから、そのあとで自白の一部を訂正したかのように偽装したこともわかった。基本的に袴田さんは事件のことを知らない。

「無知の暴露」はあちこちにある。現場の出入り口とされた裏木戸なども袴田さんは「蹴破って表へ出たです」などと言うが、蹴ったくらいで開くはずもない頑丈な木戸だ。

死刑になることを覚悟して自白したのか

――犯行動機が大きく変わっていますね。

浜田:最初の自白は専務夫人と肉体関係があって、夫人から「家を建て替えたいので強盗放火に見せかけて」と頼まれたというもの。しかし、奥さんとの共犯ならなぜ殺すのか。そこで松本警部が「それじゃ、姉さん、おまえ、殺さんでもええじゃないか」と言うと、巌さんは「かあーっとしちゃったんです」とだけ答える。松本もおかしいと感じているが、矛盾をただの記憶違いでしかないようにごまかす。翌日の自白では、夫人との肉体関係がばれて専務と話し合いに行ったとなる。3日目の自白では、夫人との肉体関係を否定し、母親と幼い子供と暮らすアパート代目当ての強盗に入り、専務に見つかって殺したとなった。真犯人なら全面自白後に動機をころころ変える必要もないはず。おかしいと思わないほうが不思議なのに、取調官は袴田さんが無実かもしれないと考えない。袴田さんが無実なら取調官も実際の犯行のことは知らないわけで、要は本当のことを知らない者同士が「この事件はどんな事件だったのだろう」と想像し合っているようなもの。空虚なやり取りから自白調書が作られる。日替わりで変遷する自白調書からそれがはっきりわかる。ところが静岡地裁は、自白4日目に作られた検事調書1通だけ採用したため、問題にすべき自白転落、自白展開の過程を検討する機会を自ら手放してしまった。

――「死刑になるかもしれないのに自白するはずない」との先入観は国民には強いです。

浜田:1960年代には、拷問に耐えられなくての虚偽自白はほとんどない。死刑になりかねない殺人事件で無実の人が虚偽自白してしまう事実が明確になったのが足利事件。菅家利和さんは「取り調べ中、刑罰のことなど全然考えなかった」と語っていた。真犯人は自分がなぜ捕まえられて調べられているかを熟知していて、「この先どうなるのか」と考え、死刑を実感をもって恐れますが、濡れ衣で捕まった人は実感がなく、死刑なんて考えもしない。自白した途端にその場で絞首されるのなら、誰も嘘で自白しないでしょうが、実際にやっていない人には刑罰の実感がない。無実の人はわけもわからずに逮捕されて密室に閉じ込められ、訊かれるのは見当もつかないことばかり。何を言っても聞いてくれず次第に無力感を覚え、やがてそれに耐えられなくなる。「どう答えればこの場を逃れられるか」といいう心境に陥り、虚偽自白して「真犯人を演じる」ようになるのだ。

 分析の詳細は浜田寿美男・著『袴田事件の謎 取調べ録音テープが語る事実』(岩波書店)を参照されたい。

大学に通うのが日課

 さて6月6日、電話先のひで子さんは「今日はね、美容院に行ってきたんですよ」と朗らか。見られないのが残念。「巖はとても元気ですよ。最近は、学校(大学)に行くのが日課になってしまって、見守り隊の人の車が来るのを楽しみにして待って、静岡大学とか私大とかに行ってくるんですよ。校門の守衛さんなんかとも馴染みになってしまったみたいで『今日は遅かったですね』なんて言われたりしているそうです」と笑った。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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