佳子さまはご両親のご活動に「一切タッチしたくない」? 重要公務ご欠席の裏側
一大イベントに出席なさらず…
ところが、この大会に当の佳子さまは、リモートも含めて出席なさらなかった。先の記者によれば、
「今回は、秋篠宮ご夫妻が臨席されました。皇嗣職によれば、主催者からご夫妻にお出ましの願い出があったとのこと。大会前日の11日午前中に宮邸を出発され、羽田空港から広島へ。午後は原爆死没者慰霊碑に供花され、その後、市内のホールで演劇祭典などをご鑑賞。翌12日は県立総合体育館で、ろうあ者大会に臨まれました」
一方で佳子さまは、
「当日の12日は東京・千駄ヶ谷の東京体育館で、健常者と障害者が一緒に音楽やダンスを楽しむ行事『ドレミファダンスコンサート』へご出席されました。こちらも主催者のNPO法人から佳子さまにご出席の願い出があったというのです」(同)
このイベントは12年に始まり、以降は年に2回開催。今回で20回を数えるという。
「17年6月の10回大会には紀子さまと佳子さまが皇族として初めて出席され、19年10月の15回大会には佳子さまが単独でお出になっている。今回もまた節目の大会であり、かねてダンスをご趣味とされてきた佳子さまにお声がかかったわけです」(同)
「あまりに不可解」
あくまで表向きは、同日に催される二つの行事をご家族で分担なさったといえる。が、ことはそう単純ではないという。
「今回はご公務がバッティングしたとはいえ、あまりに不可解です」
とは、さる皇室ジャーナリストである。
「ダンス関連ということで願い出があったのはいいとして、佳子さまは非常勤ながらも『ろうあ連盟』の職員でもいらっしゃるわけです。ご自身が勤務なさる団体による、年に1度の大きな催し。まして70回の節目だというのに、そこに全くコミットなさらないというのは考えられません」
実際に先の記者によれば、
「5月27日の皇嗣職会見では『大きな大会なので、佳子さまは何か関わっておられるのか』と尋ねられても、大夫ははぐらかすばかり。記者があらためて『(佳子さまが)職員として当日までに携わられるお仕事があれば紹介してほしい』と求めたのですが、『お知らせできるかどうかも含めて検討する』と言うにとどまったのです」
さらに続けて、
「翌週、6月3日の会見で初めて佳子さまのダンスコンサートへのお出ましが明かされました。なぜ1週遅れの発表だったのかは不明ですが、前週の時点で佳子さまはご出欠の判断を決めかねていたのかもしれません」
前週の会見での反応を踏まえ、慌ててダンスコンサートへのご出席を決めたともささやかれており、
「この発表に記者が『だから佳子さまは広島へ行かれないのか』と質したのですが、大夫は『今回はろうあ連盟から両殿下に願い出があり、それに基づいて出席される』と、ちぐはぐな回答に終始した。『(職員の)佳子さまは当日までにお手伝いなどなさるのか』と問うても『そういうご予定は伺っていない』と言うのみでした」(同)
結局、保留となっていた“当日までのお仕事”については触れずじまいだった。
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