球史に残る「大乱闘」で顔面骨折も……野球人生が暗転した3選手

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ユニホームを鷲掴み

 バッキー同様、危険球がきっかけの乱闘で負傷したのが、95年にロッテ入りしたピート・インカビリアである。

 8月22日の近鉄戦、3回に1点を追加し、3対0としたロッテは、なおも1死一、三塁でインカビリアが打席に入ったが、1ストライクから入来智の2球目がヘルメットの左側頭部を直撃した。

 怒りをあらわにしたインカビリアは、マウンドに突進すると、逃げようとする入来のユニホームを鷲掴みにし、力任せに振り回した。たちまち、両軍ナインの乱闘が始まり、興奮した右翼席のファンがグラウンドに発煙筒を投げ込むなど大混乱。4分の中断後、インカビリアは退場になったが、乱闘中に左肩けん板を負傷しており、残りシーズンを棒に振ってしまった。

 フリオ・フランコとともに打線の軸と期待された現役メジャーリーガーは、日米のストライクゾーンの違いに苦しみ、この日まで打率.181、10本塁打と不振だったこともマイナス材料となり、たった1年でクビになった。

乱闘に始まり、乱闘に終わる

 乱闘で負傷したシーズンが、実質、現役最終年になってしまったのが、ヤクルトの捕手・中西親志である。94年5月11日の巨人戦、4対0の7回、西村龍次の2球目が内角高めに食い込み、ダン・グラッデンをのけぞらしたことが発端だった。

 グラッデンは西村に罵声を浴びせると、顔を紅潮させてマウンドに向かおうとしたが、背後から中西が制止しようとして、もみ合いになった。

 怒りを倍加させたグラッデンは、中西のマスクを払い落とし、さらにミットで応戦する中西の左目に右アッパーを繰り出した。中西がグラウンドに倒れたのを合図に両軍ナイン総出の乱闘となり、グラッデンと中西は暴力行為、西村は危険球で退場になった。

 この日の西村は、2回にも村田真一に頭部死球を与えており、3回の自身の打席では木田優夫から尻に死球を受けていた。「目には目を」のような“死球合戦”が相次ぐなか、グラッデンが「狙われた」と思い込むのも無理はなかった。

 だが、「止めに入っただけ」で巻き添えを食った中西は、不運としか言いようがない。顔面骨折、左目打撲の負傷は、結果的にその後の野球人生にも影響を与える。

 5月17日の中日戦で6日ぶりに先発出場した中西は、その後も野口寿浩と併用でマスクをかぶったが、6月に正捕手・古田敦也が故障から復帰すると、出番が激減。7月28日の広島戦で途中出場したのを最後に、8月4日に登録を抹消された。以後、2軍バッテリー補佐兼任だった96年まで1軍出場のないまま現役を引退した。

 中西は、入団2年目の89年5月31日の阪神戦では、頭部付近を通過する危険球に怒って、逃げる投手を追い回したほか、91年7月17日の中日戦では、相手打者への死球直後、岩本好広一塁コーチに暴行されている。

 そして、前述したように94年は危険球騒動で負傷……。乱闘に始まり、乱闘で終わった感もあるファイター捕手は、現役引退時に心に残る思い出として、「乱闘は3度やってるけど、あのときはグラッデンとやったからね」(96年12月21日付・スポーツニッポン)と現役最後の乱闘を挙げている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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