球史に残る「大乱闘」で顔面骨折も……野球人生が暗転した3選手

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「世界の王」に危険球

 野球選手にケガはつきもの。死球やクロスプレーなどによる負傷は、試合中の出来事なので不可抗力とも言えるが、乱闘中の負傷による戦線離脱という事態は、悔やんでも悔やみきれない。過去にはそんな不運に泣いた選手もいた。【久保田龍雄/ライター】

 乱闘中のケガで残りシーズンを棒に振ったばかりでなく、事実上、選手生命まで絶たれてしまったのが、阪神のジーン・バッキーである。

 1968年9月18日の巨人戦、ダブルヘッダー第1試合で勝利し、同率首位に並んだ阪神は、江夏豊、村山実とともに先発三本柱を形成するバッキーが先発した。

 前日の江夏、この日の第1試合の村山に続き、3戦連続完封を狙っていたバッキーだったが、初回に味方のエラーの直後、3連続四死球で1点を失ってしまう。4回にもエラーをきっかけに巨人打線の集中打を浴び、5点をリードされた。

 事件が起きたのは、なおも2死二塁で王貞治が打席に入った直後だった。大量失点で頭に血が上っていたバッキーの初球は、王の顔面をかすめる危険球となった。「危ないじゃないか」と血相を変えた王は、「もう1球狙ってきたら、僕は文句を言いに(マウンドへ)行くよ」と捕手に告げた。

 ところが、2球目も膝元に食い込んできたため、かろうじて避けた王は、珍しくバットを持ってマウンドに駆け寄った。「変な球を投げるなよ」と王が注意すると、バッキーは「キャッチャーのサインどおり、2球続けてインサイドに投げたら、体すれすれになった。わざとやったわけじゃない」と弁明した。王も「仕方ないな」という仕草を見せ、話し合いは無事に済んだかに見えた。

コーチの顔面に右ストレート

 ところが、すでに「バッキーの野郎!」と激高した巨人ナインが一斉にベンチを飛び出していた。千田啓介がバッキーに体当たりし、続いて荒川博コーチが太ももを2度にわたって蹴飛ばした。バッキーも応戦し、荒川コーチの顔面に強烈な右ストレートをお見舞いした。

 乱闘の当事者2人は退場になったが、バッキーは荒川コーチを殴った際に右手親指を複雑骨折しており、そのままシーズン終了。三本柱の一角を欠いたチームもV逸となった。

 翌69年、不運はなおも続く。近鉄に移籍したバッキーは、好投した試合でも勝てず、前半で0勝7敗。さらに7敗目を喫した試合で腰を痛め、椎間板ヘルニアを悪化させたことから、同年限りで現役引退。皮肉にも乱闘時の負傷が野球人生を暗転させる結果となった。

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